脳科学と理科教育

 学校現場では,「知識」や「思考」という言葉をよく用いますが,教師が「知識」や「思考」についてどれだけ考え研究しているかといえば,そう多くないように思います。脳科学の中でも人工知能の研究者の中には,「作ることによって知る」といった研究(*松尾2016)を行っている人がいます。「人工知能ではこのようにすると人間らしく振舞うが,実際の人間はどうなのか」ということで研究したり,そもそも人間がどのように知識を形成し思考するのかを研究する人もいます。それらの研究の中には,知識や思考の本質は何であり,人間はどうあるべきかを考えるものもあり,人間についてよく研究しているといえます。こういった研究者のほうが,はるかに「知識」や「思考」について考え,またどうあるべきかの教育観や哲学をしっかりもっていると思います。教育研究者としては,少し恥ずかしくなることさえあります。
 このサイトでは,人工知能の研究の観点から,教育,特に理科教育について述べています。人工知能という言葉は一般的には使われていますが,現在は特定の状況や処理,たとえば画像処理など,特化した処理システムであり特化型AIとよばれます。特化型AIは,特定の状況や特定の処理のみで,何にでも用いることができる汎用性はありません。本当に人工知能を研究している人は,あまり人工知能という言葉を用いません。汎用性のある汎用人工知能にしか人工知能という言葉を使いません。特化型AIは,あくまでも思考ツールと考えています。IBMなどでは,特化型AIをCognitive Systemとよんでいます。汎用AIは特化型AIと全くレベルが異なるもので,簡単に作成できるものでないことが一般的に言われています。
 ここでは,便宜的にすべて人工知能という言葉を用いています。人工知能という言葉を使った家電製品には,従来用いられている簡単な論理制御を用いているにすぎないものもあり,私も人工知能という言葉を使うのに最近では抵抗を感じています。
 *松尾豊編著:「人工知能とは」,近代科学社,2016,1-5

イメージの重要性
 最近は,人工知能が急速に発達してきました。これは,コンピュータの発達とともに,大量のデータをディープラーニングという方法を用いて,特徴量検出ができるようになった影響が大きいといえます。この特徴量検出は,多少語弊はありますが,簡単にいえばイメージのようなものを形成できるようになったといえます。そのため,言語や記号では表現しにくい画像処理や音声認識などが容易になったといえます。コンピュータは論理記号の処理は長けていますが,人間が簡単に行っている視覚や聴覚における処理,またパターン処理などは不得意でした。このように人工知能が発達した要因を考えると,見方を変えれば人間が人間らしい思考や判断をするためには,情報の特徴量検出をしっかり行うこと,つまりイメージを形成することが大切であることが示唆されます。
 図に示した神経回路網を模したネットワークにおいて,具体的な情報,特徴量検出,抽象化した言語・記号という方向で処理が行われます。このことから,理科の学習においても,具体的な自然事象,その特徴量検出やイメージの形成,抽象化した言語・記号の関連付けが行われることが大切であることが示唆されます。抽象的な言語・記号だけで結論を記憶したのでは,具体的に活用できる処理(思考)は形成できないといえます。したがって,その具体的事象のイメージや抽象化した言語を結びつけていくような学習の工夫が大切であるといえます。
理科における素朴概念
 1990年代は,日常生活において子どもがすでに形成している自然事象についての解釈や枠組みを「素朴概念」と定義して,研究が行われました。そして,学習における素朴概念の影響や学習において素朴概念を修正する研究が盛んに行われました。その後,これらの研究は下火になりました。ある程度典型的なものは調べられたということもあると思います。しかし,なぜ素朴概念が形成されるのかといった本質的な分析がされないために,研究の発展性がなかったと思います。ディープラーニングに代表される人工知能のモデルでは,自動的に特徴量検出が行われます(教師なし学習)。それは,「googleのネコ」ということで有名になりました(詳しくは「googleのネコ」で検索してください)。また,特徴量検出については,正しい答などによってフィードバックをかけることによって意図的に形成することもできます。これらはあくまでもモデルですが,ディープラーニングなどのモデルを参考にすると,素朴概念が形成されることや,その特徴などの分析に役立てていくことができ,研究の発展が期待できると考えられます。
科学的な見方・考え方とその形成について
 学校教育においては,見方・考え方の育成が重視されています。理科においては,科学的な見方・考え方になります。この見方・考え方は,ある意味では特徴量検出といえます。その教科で必要な情報の特徴量検出を行うことによって,その教科ならではの情報処理をスムーズに行うということになります。この特徴量検出がどのように形成されるのか,どのような性質があるのかなど,人工知能のモデルはいろいろと参考になるのではないかと思います。人工知能のモデルからは,特徴量検出は情報処理の途中の枠組みです。これらが重視されるようになったことは,情報処理の結果としての抽象的な言語や記号による知識だけでなく,途中の処理過程である思考力が着目されることになったという点で意義があるといえます。
 >>>>「理科における課題設定と科学的な見方・考え方」を参照
汎用的な能力
 総合的な学習では,ある程度包括的なテーマの問題解決を行い,各教科で培われた能力を活用していくような学習も行われています。教育においては,このような活動や長年にわたる教科の学習を通じて,各教科に通じる一般的な思考力や問題解決の能力が培われているように思われます。しかし,各教科の枠組みでなく,より一般的な能力というのはどのようなものであり,どのように形成したらよいのかということは,十分にわかっていないといえます。これはある状況において知的に処理ができる特化型AIの作成はできますが,一般に通じる汎用型AIの作成は困難であることに通じるところがあると思います。もし人間のこのプロセスが解明できれば,特化した特徴量検出から一般的な特徴量検出が構築でき,汎用AIも作成できるといえます。このようにAIの研究と教育とは関係があるといえます。