平成15年度「軽度発達障害をもつ子どもの総合的支援に関する研究委託事業」報告書

ダイジェスト版

 

目 次                           

 

 

はじめに                          

 

 

T 4つのフォーラム                    

 

    フォーラム1                 

フォーラム2                 

フォーラム3                 

フォーラム4                12

 

 

U 5つの事例検討                    14

 

    事例1                   15

    事例2                   17

    事例3                   19

    事例4                   21

    事例5                   27

 

 

V 子どもと保護者への支援の検討             31

 

金沢アスペの会の活動から 

     学齢部小集団活動(抜粋)         31

金沢エルデの会の活動から

事例検討会(抜粋)            33

合宿を通しての子どもと大人の変容     34

 

 

おわりに                         36


はじめに

                            

金沢市から当研究室が受託した標記の研究事業の概要

1)  保護者、幼稚園・保育所関係者、教員、医療関係者など多様な参加者によるフォーラムを4回行い、幼児期の支援、中高生時期を見通した支援について、金沢市の現状を浮き彫りにし、取り組むべき方向をさぐった。

2)   また、5つの事例について異なる分野の関係者の意見交換を行い、幼児期から中学時代までの縦断的視点と、保育場面・教室場面、家庭、地域にまたがる横断的な視点の両面から、支援の課題としくみについて検討した。なお、これらのフォーラムと事例検討会には保護者、幼稚園・保育所関係者、教員、医療関係者などのべ約800名の参加を得て議論を深めることができた。

3)  子どもおよびその保護者や担任に対する直接的な支援(小集団活動、学習塾、合宿、趣味、事例検討会、学校家庭訪問)のあり方を、金沢アスペの会、金沢エルデの会の活動を通して検討した。

 

軽度発達障害をもつ子どもの総合的支援システム構築にむけての提言

 

1)  気づきからサポートにつなげる支援体制の確立

金沢市幼児相談室の通所者で軽度発達障害の可能性のある子どもの保護者(ないし園での担任)を主な対象とする研修会を定期的に開催する。

軽度発達障害の可能性のある未就園児が行動の特異性により親子で遊べる公共の場を持ちにくい問題を解決するため、これらの子どもたちの特異性に配慮した専用の遊び場を教育プラザ富樫等に整備する。

「先輩」保護者を研修会での助言者、「遊び場」における軽度発達障害ピアカウンセラーとして活用する。

幼稚園・保育所において教育プラザ富樫の職員等が、保育者と保護者の調整、入園前・入園後の問題などに関する出前相談を行う。

以上を円滑にすすめるためには、教育プラザ富樫幼児相談室(分室を含む)スタッフの専門性向上を図り、業務の長期的な継続性を確保することが必要である。

 

2)  年齢と分野を超えた接続と連携

保護者が管理・活用する、幼児期から思春期に至るまでの相談・療育機関、保育・教育機関における指導・助言の記録に基づく「育ちのカルテ」を作成し、その試行的な利用(モニター募集など)をはかる。

「育ちのカルテ」作りとその活用(園や学校への説明など)を助けるピアカウンセラーとして「先輩」保護者を配置する。

保護者、保育・教育関係者・専門家の連携による、幼・保と小学校、小学校と中学校などの接続をはかる「事例引継ぎ会議」のあり方について検討する。

異機関・異分野の関係者による「事例検討会」を定期開催し、広範かつ長期的な視野からの支援システム作りと個別支援プログラム作りを推進する。

教育プラザ富樫職員の活用などによって、幼稚園・保育所と学校などの垣根を越えた同一相談者による幼児期から思春期にいたる一貫した相談体制を整備する。

 

3)  直接支援の条件整備

教育プラザ富樫に軽度発達障害を主たる背景とする不登校児童・生徒専用の受け皿を設け、専門性を持つスタッフを配置するとともに、ボランティアや学生などを活用したチューター、ガイドヘルパーを配置する。

教育プラザ富樫に軽度発達障害をもつ生徒の進路相談室を設置し、情報の蓄積を図るとともに、高等学校・専門学校などの関係者を交えた進路相談会を試行的に開催する。たとえば金沢市立工業高等学校については、進路指導のモデル事業の可能性(見学会、懇談会など)を検討する。

軽度発達障害をもつ児童・生徒の教育プラザ富樫活用(学習活動、小集団活動、才能開発など)をすすめるため、彼らの特異性を配慮した環境(芸術活動などの場、チューターの配置)を整備する。

 

4)  その他(保育者・教師の研修への活用)

1)から3)に提案した事業を軽度発達障害にかかわる実地研修の場として幼稚園・保育所、学校、医療・保健関係者が活用するよう、関係者の参加を促進する。

そのため、教育プラザ富樫のウェブサイト上にもっぱら軽度発達障害の支援にかかわるページを設け、保護者、専門家、ボランティアなどの運営の下、情報の周知と幅広い意見の交流に役立てる。

 

以下にそれぞれの柱ごとに研究成果の概略を示す。本ダイジェスト版ではつくすことのできない、軽度発達障害をもつ子どもとその家族が直面する困難の生々しい実態、その中での彼らの成長と家族、関係者の努力のありさまの詳細については、ぜひ報告書本編を参照していただきたい。


T 4つのフォーラム

 就学前の支援に関する2つのフォーラム、中高生時期の支援を見通すための2つのフォーラム(高機能広汎性発達障害、学習障害それぞれ1回)を行った。

 

フォーラム1

「親や保育者が気になる幼児」 −小さい頃の行動を理解する−

 

基調提案 木の花幼稚園園長 大井佳子氏

@  親や保育者が入手できる情報は多くなり、親自身が我が子の障害に気づくことが増えてきた。早期に医療機関で診断されるケースも増えてきた。

A しかし、我が子の『障害』を受けとめることは親にとって大変なことである。そのしんどさから逃れるために、診断や気づきを「早期訓練」に直結させる親もいる。「お受験」のように「療育プログラム」にハマって我が子の姿から目をそらすことで凌ぐのが精一杯の親もいる。

B  「この子をできるだけみんなと同じにしてあげたい」「この子が将来困らないために」という保育所や幼稚園の「熱意」が子どもを追い込むことがある。「熱意」は親を追い込む場合も少なくない。

C  目に見える行動の「おかしさ」は幼児期に改善することが多い。その変化に目を奪われて、親も保育者も「大丈夫」と思ってしまうことがある。しかし、それは子どもが自分の中で必死にやりくりしている姿であることが少なくない。また、子どものかかえている問題が見えにくくなることで、学校では余計に理解されにくく、「わがまま」「躾ができていない」と親子で責められることも珍しくない。

D  幼児期に重要なのは、「その子を伸ばす」「何かができるようになる」ことではない。それらは結果であり、子育てや保育の目標ではない。幼児期の課題は、子どもを取り巻く人たちが「その子理解」「その子の障害理解」することである。

E  幼児期の気づきや診断が、子どもとその周りの人の関係を楽なものにし、子どもの生活を豊かにするよう、配慮、対応されなければならない。

 

討論

○ 子どもが3歳になった頃、保育園の先生から友だちとの関係が作れないといわれた。3歳児健診で心理相談を受け、別室で1時間ほど子どもの様子を見てもらったが、何も問題はないといわれた。それで安心をしたが、年中になってどうも気になり、自分で子育て支援財団に電話をしてそこで子ども相談センターを紹介された。もっと早くどこか相談機関を紹介されたら良かったと思った。親として何が辛かったかといえば、「あんたの躾が悪い」と言われたこと。障害がわかるまでは悶々と過ごした。(保護者)

○ 実際に出向いて園を見てくること、診断名が出ている方については診断名も含めて、園長先生に詳しく話をし相談することを勧めている。中には園とのよい関係が築けなくて、転園を余儀なくされた方もいる。情報交換をする中で、園とのよい関係を築いて欲しい。(教育プラザ富樫相談員)

○ お母さん自身の健康も大事に。時間を作って健康診断を受けて。「早期診断」については、「大丈夫ですよ」と安心させてあげることが親の育児意欲を高め、子育てを励ますと考えていた。だから、今日出された「診断が欲しい」という意見をもう一度、医者として考えてみたい。「診断」とからむものとして、幼稚園の障害児補助金制度がある。補助金のために「診断」することには医者として抵抗がある。親が診断書を提出する現行のやり方より、保育所の統合保育制度のように、配慮が必要かどうかを「判定」する組織が別にある方がいいのではないか。(小児科医)

○ 5歳の時にLDと診断された。多動はなく、あまり大人を困らせず、自分が困っているタイプだが、年齢に比べて幼い行動をしたり、話を理解していないことであった。事前に発達が遅れていることを園に知らせておいたおかげで、叱られたりせずに済んだのではないかと思う。(保護者)

○ 小さいときに診断名を聞けていたら対応は違っていただろうと考える。診断を受けて、「親の育て方でそうなったのではない」と言ってもらい、とても助かった。逆に「どんな育て方をしてきたの?」と言われたときはひどく傷ついた。(保護者)

○ 入園前に園に説明したが「どこがおかしいの?大丈夫じゃない」と言われた。しかし、やはり問題は起きている。連絡帳に『人の言うことを聞かない強者です』『ひっくりかえっていうことを聞かない』などと書かれると、園は敵と思って何も言えなくなってしまう。診断名があればわかってもらえやすいのか?一緒に考えよう、一緒に悩んでくれるという姿勢が園から伝わってくると嬉しい。(保護者)

○ 気になる子がいる。保育所では大丈夫だが学校では大変だろうと思う。軽度発達障害について学校の理解が必要。ビデオなども使って、子どもの行動を理解するための学校の先生と共同の場が必要。ことばだけでは伝わらない。学校の先生と一緒に研修などしてはどうか?(保育所所長)

○ 教育プラザ富樫は敷居が高いように感じる。また、仕事をしていると休みがとれず利用しにくい。相談したくてもできずにいる。実際気になる子がいる。今日の会にもよほど誘おうとしたが言えなかった。働いていても利用しやすい施設があると良いと思う。(保育士)

○ その子が引き起こすことで、親も園もいっぱい謝ってきた。そうして周りの親や地域の理解がつくられてきたのに、小学校ではその子に「人がつく」ことで「解決」されてしまう。今まで園が地域との連携を考えてきたことがとぎれてしまい残念である。(幼稚園園長)

○ 多動で、人との関わりも下手で他の子を叩いたりしてしまい、親は謝ることばかりである。土・日が大変で、人のいないところを遊び場に選ばなくてはいけない。どろんこや水遊びなど好きなことが十分に楽しめる公園などがあればいい。雨の日は行くところがないので、こんな子たちが雨でも遊べるところがほしい。(保護者)

○ 学校への引き継ぎは、3月にクラス編成のための情報聴取にその時の1年生の担任が来園し、少しは話ができる。しかし、その情報は実際に担任となる次年度の1年生の先生には伝わっていない。学校関係者と話しをする機会がもっとあるとよい。(保育士)

○ 子どものことについて学校に伝えようがない。事前に伝えに行ったが、「お子さんを見てからですね」と言われた。教育委員会の教育相談は、園から親に打診があり、親が「相談はいらない」と言えば個別相談はない。就学時健診だけでは本当の姿が見えてこないため、支援の必要な子も見落とされる可能性がある。療育機関と学校の間でダイレクトなつながりがない。情報を学校に伝えるシステムがあればよいと思う。(保護者)

○ 教育委員会からの個人教育相談では、親と園が調査票に詳しく記入し、子どもの園での様子も観察していただき、親との面接がある。これで学校まで情報が届くと思っていたら、全く伝わっていず、学校生活には全く生かされなかった。なぜなのか、何のための相談なのか。(先輩保護者)

  就学期、学年の変わり目、あるいはトラブルがあった時など保護者が学校に子どもについて説明に行かなければならないことがある。親にとっては学校に行くということだけでも大変なことで、長子ならなおさらである。そんな時、教育プラザ富樫の相談を利用し、学校への説明についてきてもらうことも可能である。学校と保護者だと感情的になることがあり、第三者が間に入ることはとても有効。教育プラザ富樫はそんな風に利用できるし、そんな使い方があることをプラザの方でも大いに宣伝してほしい。(先輩保護者)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フォーラムの様子


フォーラム2

「育ちを支える保育者であるために:子ども、仲間、保護者」

 

基調提案:保育者がよくもつ疑問に答えて 木の花幼稚園園長 大井佳子氏

まず、親に伝えることについて。園あるいは保育者が「お宅のお子さん・・」と親に障害を「宣告」することが増えている。ただ、その中には、保育者が自分の不安や悩みを親に丸投げしているように思われる場合がある。保育所や幼稚園は、従来、3年あるいは6年のスパンで子どもと関わり、卒園後の姿も見て、長い見通しの中で一人一人の子を大らかにとらえてきた。しかし昨今、社会的ニーズに振り回されてきた結果、問題を短期的に即座に解決しようとする傾向が強まっているように思う。気になる子どもについて、「宣告」が問題解決の方法にされているように感じられることがある。「宣告」は子どもの問題を親と園で共有していきましょう、という呼びかけであり、その覚悟をして親に伝えてほしい。

集団参加について。集団からはずれたままにしておく方がいいのか、入りなさいと誘う方がいいのか、という質問も多い。その子の今の様子だけから「この子は集団の中に入るのが嫌い」と決めつけないで、「その子はその時どうしてはずれているのか」を考えてほしい。はずれざるをえない理由がその子その子にある。保育者は「どうして?」考える練習をし、その子に対する理解を深めてほしい。

親との関係について。「親と揉めないように子どもの問題は黙っておこう」は通用しない。将来の何か起こった時、「幼稚園・保育所は気づいていなかったのか」「手を打たなかったのか」と問われる時代である親が子どもの障害を認めようとしないという相談も多いが、「このお母さんはどうして認めたくないのか?」を親の背景まで含めて考える必要がある。親からの要望にどう対応するかの相談も多い。我が子の障害を引き受ける過程で、親は自分の混乱を要望や文句の形で園に持ち込むことがある。それに振り回されず、家庭や専門機関とは違う、集団生活だから見える子どもの姿、集団生活ゆえの子どもの育ちの姿を親に伝える必要がある。

小学校との連携は重要である。連携がないと、子どもも親も教師も、園でしたのと同じことをまた最初からやり直すことになる。保育の中で見えてきたその子の感じ方や考え方を、育ちをつなぐ情報として学校へ申し送りしよう。

 

保育者の質問への講師の回答

○ 学校など不適応を起こす可能性もあるので、親が落ち込まないようなら子どもの弱い部分を伝え相談を勧めてはどうか。教育プラザ富樫の相談も活用して学校とのつなぎをしてもらうと、学校生活をスムーズにスタートさせやすいだろう。フォローのないまま学校生活をスタートさせると子どもは周りにただ合わせて動いてつらくなる。

○ 「自閉症だから昼寝しないでいい」ことはない。他の子でも寝たくないけれど寝ている子はいるわけで、「この子はわからないから寝なくていいけれど、他の子はわかっているのだから寝て欲しい」というのでは、周りの子は納得しないし周りが障害の子を理解もしない。

○ 親は本当は気づいているのだけれど、子どものいいところだけを見て自分を安心させているのかもしれない。保育園が親に配慮して、みんなと同じようにしている姿を見せるようにしていることが、親の勘違いを生むことも多い配慮して隠すのではなく、子どもの不得意な場面も自然に親に見えるようにしないと、親は障害に気づけない。

○ 相談を勧める時どこを紹介するかもポイントである。やっと親が相談を決意しても医療機関は短時間の診察になりがちで、ほどほどにうまく話す子は「大丈夫」と言われてしまうことがある。テストのような質問は得意、という子が多く、集団生活で見えるような子どもの問題は診察室では見えにくい。

○ 自閉症=視覚優位ではない。写真だから伝わるという単純な障害ではない。カードを使ってコミュニケーションできるように集団生活でも訓練する、という発想ではなく、周りの人がカードや写真もことばとして使うという発想があればいい。その子がカードの方がわかり易いのであれば子どもは自分で使うようになる。

○ 子どもがわざと暴れたりすると「愛情不足」と言う人がいるが、その背景に心を読めない可能性も考えるべきである。観察し、落ち着いた時に話を聞いて、その子はなぜ暴れるのかをつかまないと問題は解決しない。

○ 保育者の優しさが自閉症の子を混乱させることがある。情を込めない淡々としたやりとりの方が彼らにはわかりやすい。

○ 自閉的な子は決まったルールで指導しないといけないという保育者や親の思いこみも危ない。子どもが思っているルールからはずれた時に、なぜだろう、どうすればいいんだろうと考えて自分なりの処理法を探ることが必要なのに、周りがルールに縛られていると彼らは自分の「硬さ」にがんじがらめになっていく。その子なりの処理法が大事なのであり、自分なりの処理法を、周りの人との会話を通じて、あるいは周りの人の動きからみつけていきやすいように整理してあげることは必要であり、それが「構造化」ということである。

○ 保育に関わる人が、発達に遅れが疑われるお子さんが将来どのような成長をたどるかを知っていると親に対して、発達への不安ばかりではなく将来の見通しを提供することができるし、将来の見通しの中で今すべきことをサポートいくことができる

○ 行動が落ち着くからといって、パターン化すればいいわけではない。社会のモデルをうまく取り込めるタイプでは、過剰適応してしまうケースがある。本人にとっては不安や困っていることがあるのだが、周囲から見てもなんら困っている様子が見られないケースである。行動が落ち着いても、子どものかかえている問題には変わりはない。

 

保育者の感想

  ケース検討会のように細かく詰めていく話だったので、わかりやすかった。質問されたケースと同じような悩みをかかえているので、他児の事例から、保育者の見方・考え方・接し方の大切なことを学びました。

  教育プラザ富樫に相談できることはとてもいいことですので、相談員をもっと増やして、相談にすぐのってもらえるようになるといいです。このような会を引き続き開いてほしいです。

  軽度発達障害に対しては、私たち保育者も勉強不足ですので、もっと研修をしていただきたいと思います。また、一般の親御さんにも、もっとこのことばを広げ、わかりやすく紹介していただきたいです。そして先ほどお話に出ていたように、小学校との連携を持ち、具体的なことを話せるようにしていただきたいです。

  軽度発達障害について真剣に考えようとこのフォーラムに参加している先生でさえ、愛情不足ということを考えるのだなぁ、と思いました。やはり、まだまだ軽度発達障害についての一般的な知識も広まってないのか、もっと保育者が知識を持つ必要がある。また、子どもの学習ということを考えるときには信頼できる専門家との連携が必要であり、それがうまくいくようなシステムが必要だと思います。

  やっぱり対応する人が、こんな学習会に出てよく理解すべきだと思います。学習会に出ることに抵抗のある人(親も含めて)も多いと思うので、目で見てわかるような文書を「市のお知らせ」「健康」「回覧」「学校・保育所からのお知らせ」などに載せて、一般化していってもいいのではないかと思う。“障害がある”という垣根が低くなったらいいと思います。

  親も保育士も学校関係者も子どものことをよく理解し、その子の将来に繋がるようかかわっていくために、このような勉強会が継続して開催される必要があると思います。また、小学校、中学校へと連携していく必要があると思う。アスペの会などの活動に、支援を必要とするより多くの子が参加できるようなシステム作りが必要だと思します。

  思春期の子どもが荒れているのは、家庭環境のせいだけではない。幼い頃、障害が発見されずに周りが適切な対応をしてあげないことが原因であることもあるんだな、と気づかされました

  なぜこの子は、はずれているかを考え、なぜ私は集団にいれたいのか(いてほしいのか)と見つめ直して子どもと接していきたいと思いました。その子らしいやり方で園生活を送れるよう、その子のプロセスにつきあっていきたいと思っていますが、難しいですね。でも、その子たちから学ぶこと、教わることは大きいです

  「保育の中でつかんだその子の姿をどれだけ誠実に伝えるか」ということが大切だ、ということがとても心にストンと落ちました。いろいろ考えすぎて、逆に見えなくなっている姿も多いと反省しました。まず幼稚園でのその子を保育者がちゃんと見ることを(見方の範囲をもっと広げて)していこうと思いました。(難しいけど、生きた人との関わりの仕事の真髄だなぁと・・・)

  障害があるからこういう対処をすればよいだろう、ということではなく、この子がこの子らしく成長できるように、その場その場、その時の状況によって援助することが、その子を理解する上で大切だということを学びました。こういう行動をしたからどうしよう・・・ではなく、どうしてこういう行動に至ったかを考えていきたい。本人の事情をよく知る。

  直接支援ではありませんが、そういう子に接する大人の学習会や、その子に関する親・保育者・教師の連携というか、連携できる情報交換できる場(機会)がもっともっと必要だと思う。

  将来的には、社会での生活の中で生きていく子どもたちだと思うので、苦手な部分をみつけてやり、わかってやり、必要なケアをしていくことが必要だと思っています。

 

 

フォーラム3

「高機能広汎性発達障害:就労・自立にむけた中学高校時期の支援」

 

講演要旨 NPOアスペ・エルデの会理事長 中京大学社会学部助教授 辻井正次氏

高機能広汎性発達障害(高機能自閉症・アスペルガー症候群)は、@障害者福祉制度の狭間にある、A軽度発達障害を対象とした教育・福祉施策の乏しさ、B発達の遅れが目立たない、乳幼児健診で発見されにくい、C教育の中で適切な指導を受けることができず、外傷的な学校体験を積み上げてしまうことが少なくない、D通常教育を経過してくるために、必要な職業教育(職業訓練)をする機会が少ない、E発症頻度の高さのわりに専門家が少ない、といった点からその子に応じた支援が行われていないのが現状である。困らなければ障害といわない、自分のハンディを認識していないとなると社会的自立は難しいだろう。

 

高機能広汎性発達障害児における思春期の重要性としては、次のことが考えられる。

1)自分が何者であるか、アイデンティティをめぐる問題

2)「障害」への偏見の強さが自分の特性の理解に関与してくるのが難しい

3)将来展望を見つめる時期、小学校5年生(心の理論が成立する10歳頃の時期)

4)自分で自分をコントロールする能力を確実にしていくことの大切さ

5)一般的な思春期心性のもたらす影響

6)一部、思春期の生物学的な成熟要因との関連で調子を崩す場合もあるが少数派

人に合わせることができない、自分の好きなことばかりやってしまう彼らには、職業教育が必要である。納税者に育てていくには仕事をするという体験を与えねばならない。普通に大学へ行くことへのリスクを考えなければならない。診断については早いほうが、二次障害を防げる。そのためには児童精神科医を育てていく必要もある。またこの時期、余暇支援が大切である。楽しみの共有、人として生きていく喜びが、障害の埋め合わせにつながるだろう。

 NPO法人アスペ・エルデの会では、彼らを支援するために、次の活動を行っている。

1)小・中の地域支援グループ(勉強会)を中心とする

2)高校生以降、青年期グループ(サポーターズクラブ)。高・大・社の3グループ

3)余暇支援については別途、好きな内容別に7グループ程度

4)親たちの活動として生活・就労実行委員会を設け、企業に対する実態調査などを実施。

思春期を過ぎ青年期には将来像、つまり大人の姿を知る支援をしている。この時期の問題点として、両親の問題、できない子と見ない、ことばにふりまわされることが挙げられる。また、当事者側には、二次的精神疾患の合併、迫害されている気分になる、誰かがしてくれる、日常的なことを親がいつまでもしている(例:食事の支度)、体力がない、自己評価が低い、感情の自己コントロール能力の難しさがある。これらを踏まえた上で、小・中・高のグループ活動を考えていく必要がある。彼らの自立に向けて、誰かがやってくれるわけではない。何よりも親がどこまでやれるかにかかっているといえよう。

 

パネル・ディスカッション

 金沢アスペの会 青年部保護者

娘の短大時代を振り返るとスタディーコーチみたいに、大学での学生生活の指導等をつきっきりでしていただく同年代の方がいらっしゃったらなと思った。栄養士の資格をとったが大学自体は就職については、相手にしてくれなかった。本人は卒業してすぐ仕事をする意欲があったみたいで、調理補助としてレストランの裏方をしていたのだが、2日目でクビになった。また、2、3のアルバイトもあたったが面接で断られてしまい、娘は断られることに恐怖を持つようになった。

 現在、私の仕事のアシスタントをしたりしていくばくかのお金を稼いでいる。今の私にとって無くてはならない助手になっている。できれば、家でできるSOHOの仕事をと思っているが、信頼できる事業者が見つからなくて躊躇している。公的機関がお世話していただけたらなと思う。

 学校時代を振り返ってみると、高機能自閉症についての認識不足と、障害を認めたくない親の心の問題がある。ありのままの現状を認めて理解して、その上で、他の人たち(先生方、クラスメイト、社会の人)に理解してもらい、接してもらっていたら、他からの刺激もたくさんあり、コミュニケーションも多くなっていたのかもしれない。

 

金沢アスペの会 中高生部保護者

中学になり、環境が変わり、さらに社会性が要求されるようになると、困難な場面に遭遇することが多分にあると思う。例えば、暗黙の了解がわからないために、中学の先輩後輩とのトラブル、教科別に先生が変わること、つめえりを着なくてはならないこと、ズックのひもが結べないことなどできないことが許されない環境がとても怖い。うちの子に付合いだした学校の先生によく言われることは、「反省しているようには見えない。」「一人だけ特別扱いはできません。」「そんなレベルの低い事でいちいち誉めていられません。」などだ。また、うちの子はわがままという印象を与えるほうだが、高機能広汎性発達障害という同じ診断名でも表面的には一人一人ぜんぜん違っていて、対応の仕方もひとりひとり違う。2次的な障害を防ぐために、親と子どもの周りにいる人たちとが、「任せてください」ではなくて、コンタクトを取って、協力し合って情報交換をしていく姿勢が必要だと思う。

 

金沢アスペの会 青年部支援者

彼らとこの一年半付き合ってきた中で一番感じるのは、彼らのことを理解し支えてくれる人が、中高生という思春期の時期にいなかったということだ。私はずっと幼児教育の現場にいるが、彼らの幼児期には軽度発達障害をもつということを知らずに過ぎてきていた。彼らが私たちと違う理解の仕方をしているということすらわかってあげられず、“ちょっとわがままで集団から外れる子”という風に見られていたと思う。

<行政に対しての提案>として

1)早いうちに診断を受け正しい療育が受けられるように現場の保育士や教師がしっかり見極める力をつ

ける場を設けていく(実際にそういうお子さんと多く接していく場を持つ)。

2)彼らの理解の仕方の違いを理解してサポートしてくれる人を育成する。

3)仲間同士が集える場の提供。

4)就労に向けて軽度発達障害の人たちへの理解とジョブコーチの育成。

 

金沢市教育プラザ富樫 相談員

子どものまわり,心で何が起こっているのかを知ることがまずスタート。思春期になると情報がだんだん入らなくなる。本人の伝えられなさの問題がある。どんなリソース,社会的資源があるか。よく理解してマッチした応援をするためには「専門的知識」が核となるが、一番近くにいる保護者がよき相談相手であり,ソーシャルスキルを教える人になるとよい。中学校への働きかけでは例えば教育プラザ富樫で対応できる。特に学校が変わるときが深刻であり、その際のコーディネーターの役割が大きい。

 

討論

  「早くどこかへ通って療育してもらわなくっちゃ!」と親が考え、これがいいと聞けばそれに飛びつき没頭してしまいがちなようです。選択肢は沢山ありますが、どういう風に使い分けるか?ということが大切です。このお子さんにはどんなことが合うか?ということを一緒に考えてあげられるシステムがあることが大事。そのためにはその子についての情報を持ち寄れるような接点が大事なのでは?(教育プラザ富樫相談員)

○ 最近は医療機関でも相談にはのってもらえるが、そこから先がない。療育機関は、ともすれば親からの情報だけで子どもの生活の姿を把握しがちであるが、それはあくまでもその親の目から見た、その親にはそのように見えるということであって、幼・保育園・学校など実際に子どもが長時間を過ごす集団生活の場での実際の姿をつかまないままに子どもの課題を設定し親に助言することになることが多く、適切な介入はできない。(教育プラザ富樫相談員)

○ 相談を受けた中で学校の先生の無知さのために暴力事件になったことがある。もっとちゃんと知っていれば、「あんな事件にならなくてもよかったのにな」と思うことが学校現場であるので、もっと勉強してほしいと思う。(スクールカウンセラー)

  『普通の子』らしく適応することが目標になっていることが多い。保育者も療育者も『みんなと一緒に動けるように』を目標にしがちである。小さいうちは療育で、形として行動を形成することはできるが、子どもにとってみんなといっしょに動くことがここちよい関係になって動いているのか?あるいは行動コントロールがきいて形だけ一緒に動いているのか?それが問題で表面上の適応ではダメ!(教育プラザ富樫相談員)

○ 幼稚園、療育、医療の3箇所に通っているのですが、それぞれの専門家で見方が違っているので、どう受け止めていけばいいのかなあと思う。もっと専門家同士もつながり、統一、共通のものがあってほしい。(保護者)

○ 問題行動がないからうまくやっていると見るのではなく、行動に見えない時期でも彼らの中で起こっていることを実感として感じられるような世の中になっていかないといけないのではないかと思う。幼児期はベースになる大切な時期、当事者に対しても、親に対しても、周りがただ優しいだけでは、将来生きていけない。(保護者)

○ 親が専門家に振り回されている。専門家も人によって言うことが違う。保育所を子どもが嫌がっていると親が言うと、傷つくくらいなら行かないほうが良いと言われたと、親は行かせない。保育士は、親を経由してしか専門家の見解を聞けないので、そのことばが本当にそうなのかさえわからない。情報を共有するシステムが必要。(教育プラザ富樫相談員)

○ 私立の高校入試で面接があり、学力的には十分なのに面接でだめだった。(多動なところがあった。)中学の先生は、「学力があれば行けますよ」と言っていたのに・・・。進路指導のときにもっと的確な情報が欲しかった。1クラス35人で2人担任制の県立高校へ行った。そこではカウンセラーの先生がアスペについて詳しく、担任に話してくれた(保護者)。

○ 養護学校が就労をがんばっている場合がある。知的障害との境界ぎりぎりだったら養護学校にそういうコースを作ってもらう方法もある。養護学校では就労については、3週間現場実習に教員がはりついて指導を行うなど取り組んでいる。ジョブコーチとの連携を行っている学校もある(養護学校教員)。

 

 

フォーラム4

「LD(学習障害):就労・自立にむけた中高生時期の支援」

 

講演要旨 NPO見晴台学園理事・研究センター長 愛知県立大学教授 田中良三氏

 @ ゆっくり・ゆったり・しなやかに:

見晴台学園では、教育期間を中等部3年間、高等部5年間(本科3年間、専攻科2年間の一貫教育)、青年部4年間とし、カリキュラム編成にあたっては国語、数学といった伝統的な細切れの教科群を羅列するのではなく、子どもたちにあわせた大きな枠組みをとっている。長期にわたる教育期間と大きな枠組みと幅のある学習内容組織と、シンプルでゆったりした日課の時間枠は、子どもたちの発達と学習要求に合わせた教育活動の展開を可能にし、自由度を大きく保障するための基礎条件である。

A 自由な自己表現を大切に

子どもたちはみな自分のことを知ってほしいという強い願いをもっている。子どもたちが、自分はここにいる、こんなことを考えている、こんなことを思っているということを、ありのままに表現=主張でき、それを受けとめてくれる友だちと教師のいる学習環境の中で、その喜びを感じながら、自らを解放していく教育活動が求められている。

B 生活や興味・関心にもとづき、ゲームなど遊び感覚で

 発達と学習に困難を抱えるLDらの子どもたちに、年齢に関係なく、彼らに共通の関心や、一人ひとりの生活、興味、発達課題にもとづいた題材を取り上げ、みんなで楽しみながら取り組める授業づくりが大切である。

C いろんな人たちとの交わりのなかで

友だちをはじめいろんな人たちと交わり、支えられながらともに取り組み、ともに学びあうことの楽しさを実感できる、バラエティに富む学習活動をつくりだしていく必要がある。そのなかで、社会性(ソーシャルスキル)を技能主義的にではなく、多くの友だちをつくり、自分をも含む人間に対する愛と信頼とに支えられた豊かな人間関係のもとに「生きる力」として身につけていくことができる。

D 豊かな経験を積み重ねること

子どもたちが、教育内容・カリキュラムづくり、授業内容づくりをも含む学びの主体となることは、一朝一夕にして成るものではない。そのこと自体が、教育目的・目標であり、長年の教育過程を通して身につけていくものである。そのための豊かな経験の積み重ねが必要であり、子どもの成長をじっくり気長に待つ姿勢が大切である。

E 年齢に相応しい誇りを育てる

LD児は、その特性からして、とりわけ読み書きが苦手である。とりわけ、プライド高き青年期のLD児に対して、狭く、学力=教科的対応を図るこだけで問題の解決に導かれることは大変難しい。見晴台学園では、卒業論文・制作や白山登山に挑戦してきた。愛と友情を育む学習環境のもとで、友だちと一緒に取り組むことの楽しさを通してはじめて、その壁を乗り越えていくことができる。

F 父母が学校参加し協働する

 見晴台学園では、父母は「学園運営委員会」はじめ、会報「木もれ陽」の編集、「フエスターみはらし」、スキーや登山などの行事や授業づくりに参加する。このように、父母はなぜ学校づくりに参加する必要があるのかといえば、それは、子どもの人間的成長・発達のために、親自らが子どもたちや教職員とともに学び・育ちあうことが求められているからである。

G 学園の卒業生を支えるために

2001年に「見晴台学園自立支援センター・るっく」が開設した(現在、名古屋市南区)卒業生を主体に、OBの会員父母とともに、彼らが求める仕事や生活について必要な支援を行い、生涯にわたって彼らの拠り所となることをめざしている。仕事だけでなく青年期の多様な要求に応え、学びの機会を作ってほしいという「るっく」からの要望に応えて、2003年度愛知県立大学では生涯発達研究施設主催によるオープンカレッジ:「LD青年のための大学教育入門」(全15回)を開催した。彼らはみな毎回楽しみに通ってきている。彼らが生き生きと学ぶ姿を通して、あらためて希望するすべての青年に大学教育が開かれるとともに、彼らが生涯にわたり学びの主人公として、充実した人生を送ってほしいと願わずにはおれない。

 

パネル・ディスカッション

読み障害・不登校の中学生をもつ金沢エルデの会保護者 

読み書きができないということが、日常生活においてどんなに困難を伴うことかということを、何の困難も感じないで、日常を送っている一般人に理解してもらうことの難しさを訴えたい。読み書き障害へのコンプレックスが特に強い子どもが、通常学級の中で、普通に授業を受けることは、とてもつらいものがある。親のわたしは、不登校を機会に自分の力で、子どもの能力を伸ばしてやろうと、日々悪戦苦闘している毎日である。でも、学校でただつらい時間を過ごしていたときよりも、逆に時間を有意義に使えるようになったのは事実。読み書きも、仮名を打ってやると、ゆっくりでも、理解して読めるようにもなってきた。もし、学校へ行っていたら、多分、こんなに早く読めるようにはならなかっただろう。ただ、中学校生活で得られる、社会性、友だちとの友情、そういった部分のフォローをしてやることができない。中学校でのLD児の受け入れ態勢を早く確立し、第二、第三の息子を作らないよう、関係者一丸となって、前向きに取り組んで頂きたい。

 

金沢エルデの会アドバイザー

エルデの会ができてよかったことの一つは、小学校の後半には自分のやり方で障害を自己受容できる子が出てきたことである。クラス担任に「僕は学習障害だから」と申告した子もいる。障害を自己受容できれば自分をごまかしたり崩壊したりせずにすむ。子どもが自己受容できる環境を作ることも支援である。学校の話し合いでは出しそこねた提案をエルデの会の小集団活動で提案し実現されていくような経験が自己肯定感を生み、同じように苦労している仲間がいると感じ取っているから自己受容できる。

彼らが「普通の子」と同じことを要求されて崩壊しないよう守るだけでは子どもの学びは保障されない。「治す」のではなく、それぞれの困難に応じた子の学習が保障されるためのプログラムが必要である。それはそれぞれのかかえている困難に応じて作成されるべきもので、個別プログラム作成のためのヒントは子どもが出してくれる。エルデの会では、テストの答案や作品、学習場面や会話場面のビデオを見ながらケース検討会をしているが、その中でいくつものヒントがみつかった。LDの子は自分がうまくできないことを知っているし、それをクリアしようと自分の学び方を模索している。その子の抱えている困難、それをしのぐためにその子がみつけた方法を尊重して、その子らしい学び方を子どもといっしょに開発していくことこそが支援である。

 

 

U 5つの事例検討会

 

高機能広汎性発達障害3事例の検討

アスペルガー症候群の少年の事例1からは、少年と友人たちとがトラブルを乗り越えて育ちあうプロセスを教師や母親たちが冷静に見守り、支えた貴重な経験を学ぶことができる。事例2,3からは、同級生との仲間関係の調整に学級担任やことばの教室担当者が連携して対応することの難しさを知ることができる。

 

事例1「アスペルガー障害の少年と仲間たちの育ち合いを支える:小学校から中学校への渡りを見通して」

 

小学校教諭

 4年生をのぞく5つの学年でA君を担当した。チャイムがなっても教室に戻ってこないことや、いつのまにか教室からいなくなってしまって捜しまわることがしょっちゅうだった。友だちともなかなかいっしょに遊べず、体育でみんなで何かするときもほとんど参加せず、自分のしたいことをしていたが、A君はいつも楽しそうにしていた。2学期頃から、A君は、自分ができないことがあったり、友だちの言ったことが気になったりするとひっくりかえって暴れたり、友だちに八つ当たりするようになった。教室を出て行ってしまうのは、音読で詰まってしまった時、宿題を忘れていたと自分で気づいた時、たくさんの計算問題をやるのがいやな時、自分の失敗を友だちに指摘された時などである。「オレ、もうダメなんやー」「そんなむずかしいこと、オレにはできないよー」が、口癖のようになってしまった

5年生の家庭科の裁縫の学習では、細かい手作業が苦手なため、友だちの些細な一言でも切れて暴れたり、教室を出て行ったりするようになった。この頃から、素直に話が聞けない、そうではない場面でおちゃらけを言う、仲良しのS君の冗談、からかいなどのことばに過敏に反応し暴れるなどの行動が頻繁になってきた。トラブルが起きるのは仲良しの友だちのことばや行動が理解できない(うそや、冗談、からかい、じゃれあい、やりかえしなど)、ことばの使い方が間違っていたり、使うタイミングが悪い(やめて、うそや、冗談を使う場面など)、相手の思いや場の雰囲気を読めない(同じことを何度も言ったり、したりするなど)、自分が不得意だったり、思い通りにならなかったりする(図工、家庭、点数、発言など)などである。仲良しのS君とはトラブルが絶えず、乱暴もされるが、やっぱり一緒に遊びたい。他に友だちはできないと思い込んでいる。

 

入学予定の中学校教諭

中学では人間関係づくりはほぼ一からのスタートとなりお互いに慣れるまでに時間がかかる。そのことが本人に大きなストレスを与えると思われる。生徒の到達目標に社会性を身に付けることが要求され、本人にとって理解しにくいものが出てくる可能性がある。トラブルをおこした場合、またトラブルに巻き込まれた場合、本人の特徴を同級生に理解してもらう時に、どのような説明が適切か判断の難しさがある。中学校スタッフが努力していくべき点としては、スタッフ間の連絡・情報交換を密にし、対応策を考え、サポートブックの順次更新をしていく必要がある。学級だけではなく、学年を網羅する雰囲気づくりをはかる。周囲の大人の理解を得るよう働きかける。

 

友だちSの保護者

 ちょっとしたことですぐに険悪な雰囲気になっていった時期に、A君のお母さんと相談して、Sを含めた子どもたち3人に「A君の考え方がみんなと違う」ということを伝えた。SはA君の考え方がみんなと違うということについては、何となくわかっている様子だった。今まで何となくわからないと思っていたことが、「そういうことだったのか」と少しわかって、その日からできるだけA君の思いを尊重するようになったように思う。

 10月の登校時、A君とSが二人きりになるときがあって、その時にA君からアスペルガーという障害があること、みんなには内緒にしてほしいことを聞いたようだが、そのことについては何も言わないし、態度にも何の変化もなかった。Sはもともと裏表のない単純なタイプの子で、カッとなることもよくあるが、忘れるのも早く、一緒にいて楽しいから遊びたいという思いでずっとA君とつきあってきたのだと思う。

 

友だちGの保護者

5年生の終わり頃から6年生の春頃にかけて、Gは学校や登下校、遊びのなかでのA君の言動について「どうしてなんだ、なんでなんだ」と度々聞いてきた。私からは、それに納得いくように答えてやることができず、Gのイライラをどうしてやることもできなかった。6年生の5月にA君のお母さんから子どもたち3人に話をすると聞いたとき、もう少し先でいいのではないかと思ったが、3人の子どもたちにはA君のことを理解するきっかけになったようだ。また最近では3人がA君のためにどうしたらいいのかを一生懸命考えるようになった。Gがそういう風に考え、またGがとても大切に思っているS君、Y君も同じだとわかったとき良い友だちに恵まれていることがとても嬉しかった。GはA君の考え方が違うということを聞いてきた日は、かなりショックのようだった。その日をさかいにA君に対する不満やイライラを、今日までの7ヶ月間家では一言も口にしていない。GはA君とは遊びたいから遊ぶと答えているように、GにとってA君は大事な友だちなんだと思う

 

友だちYの保護者

 妙に丁寧なことば遣いや会話が成り立たないことが度々あって、専門知識はまったくないが何かあるのではないかと思っていた。お母さんから皆と少し違うという話を聞いたとき、そうだったのかーとやっと納得できた。息子はこのことを聞いた時そうなんかぁと思ったそうだ。息子はA君のことをやさしいと言っている。

 息子は小さい時からアトピー性皮膚炎がひどく、ぜんそくもあり学校も欠席しがちだった。見た目にも汚いので本人もひどく落ち込みがちで積極性に乏しい、自己評価の低い子だったと思う。その点で、息子はA君とは違った点で皆とは違う子だった。A君も自分はダメと落ち込むそうなので、自分と共通する点を感じていて気になる存在なのかもしれない

 

当事者Aの保護者

アスペルガーと診断されるまではADHDだと思っていた。診断された時は正直、信じられなかった。大井先生から動揺しないように、説得しないように、話を聞くように・・・と助言していただき、その3点に気をつけて接した。話を聞くようになって、びっくりしたのは、悪口の意味を5年生になってはじめて知ったと言い、何年も前に言われた悪口がフラッシュバックして、学校の友だちを叩いたりしたということだ。その時まで、友だちにひどいことを言われても、ニコニコしていたり、謝ったりしていたので、気の弱い優しい子だと思っていたことが、とんでもない間違いだったと気がついた

「ベンとふしぎな青いビン」という本を読ませた。告知によってハッピーエンドになるという内容で、告知のイメージをよくしようと思った。勘違いもありましたが、1ヶ月程かかって私とのいろいろなやりとりの後、自分がアスペルガー症候群で、弟と同じ自閉症の仲間で障害があることを知った。私は告知してよかったと思っている。「そういうところが、気付きにくいんだよね。」などと相談しやすくなった。でも、本人は悩んでいる。「おれはアスペルガーだということを良いことだと思っていいのかどうかわからない。悩みは解決しないし、わかる前とかわらん。」と言っている。「みんなには知られたくない。友だちじゃなくなるかもしれない。」と不安がってもいる。

アスペルガーとわかる前は、友だちの前で叱ったことが多かったし、わかってから叱らなくなったことで「甘い」と言われた。Aのつらさがピークに達した頃、4人の状態がひどくなった。S君のお母さんに立ち会ってもらって、みんなに誤解があること、息子の考え方がみんなとちがうことを話した。そのあと、ピリピリしたムードはなくなった。

 

感想

  小学校と中学校との連携に不安を感じた。中学の先生方は忙しいと思うが、障害児専任の先生を決めたほうが良いのでは!

  中学校側から3人も出席してくださり、ありがたく思います。どの中学校もこうあってほしい。A君をとりまくこの3人との交友関係をうらやましく思うと同時に、いい形で継続することを願います。

  教育の現場が自立していく通過点として今この子たちに何が必要かを考え、柔軟にシステムを変える勇気を持ってほしい。型にはめているだけでは実現できないことに早く気づいてほしい。

  友だち関係というのは「学校」という世界の中でも一番なまなましい生活の部分です。彼らはみな「生活」で困り、「生活」で成長していくわけです。「学校でうまくやっているか?」「誰がうまくまわさせているか?」では「子ども」も「障害」もみえてきません。「生活」について検討されると障害を持っている子どもがどんなにけなげに努力しているかが見えてくるし、それは彼らに関わる者がとても励まされます。

  プラザが中継して、せめて該当校だけでも事例検討会をさせてほしい。

  やっぱり子どもの話を聞いて、何に困っているのかを知ったり、時には誤解を解いたり、それを周りに通訳することが必要だと感じました。その役目はその様な人(チューター)がシステムのひとつとしてあれば良いと思います。

  子どもは親が説明しなくてももう既にわかっていて、それでも「一緒にいたいからいる」大人が思っている以上に子どもには感じる力、育ち合う力があるのだと思います。子どもたちから教えてもらうこともたくさんあると思います。

  事例集を作って、小中の連携、伝達を深めていってほしい。中学校の先生は事例集に目を通して、その子に対してゼロからのスタートではなく、10でも20でも予備知識を持ってほしい。そうしないとスタートからこける。

 

事例2「高機能広汎性発達障害児の園や学校での仲間との育ち合い、およびトラブル」

 

幼稚園担任  

 Bちゃんにとっては、順番で一番良いのは一番という風に良し悪しの基準があって、「悪いことはだめなので、一番にならなくては」と気をもんでいた。しかし1番になるための努力をするわけでもないので毎回1番にはなれず、その度に「Bちゃんは何番?」と聞き、私が順位を言うと「いやだ〜」と怒っていた。しかし、どうにもならない現実や、運動会のリレーなど、勝つこともあれば負けることもあり、負けた時には、次に勝てたらいいねとまたやるなどの繰り返しの中で、だんだん1番だけがいいと、こだわらなくなってきた。そして、ついに、「最後ではないですか?」と「最後でなかったら良い」と基準を修正して自分を楽にできるようになってきた。

 

小学校3年学級担任  

 3年生ともなると、自己主張がより強くなってくるので、日々の学校生活の中でのトラブルは絶えないというのが正直なところであるが、そのつど、当事者同士の話し合いや、クラス全員での話し合いなどを取り入れることで解決を図ってきた。そんな中で子どもたちの中に、クラスとして連帯意識もできつつあり、他学年の児童とのトラブルが起きたときには、Bの立場に立って親身に考えてくれる児童も多く、Bも少なからず理解できたようである。担任として現在悩んでいることは、授業でも、途中から教室を出て行くことが解消されておらず、これだという有効な手立てを考えることができていない現状である。

 

小1、2年ことばの教室担任

 ママからあっかんべーはしてはいけないものと教えられ、忠実に守ってきたはずのBちゃんだったが、○君からはいつもされる。やはりあっかんべーはいけない。なのにあいつはいつもしてくる。懲らしめなければ。懲らしめの石がA君のお腹に。反撃に出た○君の石がBちゃんの眉間に。いつしか○君の家族からはBちゃんは危険人物となっていた。この男児との関係については整理してやらなければいけない大人が入り込む時期を逸したという反省がある。(反省です。ママも「なぜあっかんべーにこだわっているのかわからなかった」と言っていました。)私たちが問題行動、こだわりととらえる行動はBが何か混乱をきたしていることが多いように思えるので、この時期をしっかりとらえる必要があると考える。

 

小3ことばの教室担任  

Bくんがマイマイカブリやカタツムリのことを良く知っていること、鉄道のことが大好きでインターネットのそのサイトへもスムーズに検索をこなしてしまうこと、太鼓などの楽器が大好きなことなどがわかった。つい最近の通級時には、リアル体験型ゲームのような活動をした。Bくんがゲームのプログラマ−であり、プレイヤー1である。私は、その横で指示通りに身体を動かすプレイヤー2の役割になった。Bくんの頭の中で次々とわき上がるイメージの世界を、ふたりで大騒ぎしながら楽しんだ。Bくん独自の世界の中に私をまぜてもらって、ひとりではなく、だれかとともに楽しみを共有する体験をたくさん持たせてあげたい。今はそう考えている。

 

金沢アスペの会支援者

アスペの会に、Bちゃんより2〜3歳年上の男の子が加わった。その子はTVゲームが好きで、いつもバックに一杯のTVゲームを持ってきて遊んでいた。その子は、きちんと貸して欲しいと頼み、待っていれば貸してくれるのだが、最初、Bちゃんが勝手にいじろうとし、力ずくで取ろうとした時、強いにらみと口調で一喝された。B君は、パワー全開にして、思いつく限りの自分のやり方を試そうとして力尽き、どの方法もダメと知った時、相手に頼んで何もせずに待つことで、相手が 自分の望みに沿ってくれる事もある・・・ということを経験できたのではないかと思う。その日の活動の終わりに 彼は、ニコニコと その子に近づいて行き、腕を絡ませて「○君、やっぱり・・・僕がゲームができてよかったね」と話しかけていた。たどたどしい表現ながら、その様子は、彼の心に湧いた感謝にも似た気持ち…を伝えようとしているかに見え、その子も良い表情で応じていた。また、アスペの仲間同士の世界は、絡めると複雑でややこしい感情の部分を比較的サラリと流し、儀式的なもので感情を整理しようとする傾向があり、対人関係の学習には分かりやすい環境なのかもしれない…と改めて思っている

 

感想

  人との関わりの練習をさせる場が必要で、それが学校で制限されることが多いので、支援者のいるアスペの会が大切になると改めて思いました。

  担任の先生がクラスの中の一員としてのB君の存在をどう周りとつなげていくか、悩んでいらっしゃることが良くわかった。担任の先生をバックアップするシステムも必要。

  幼少期からの理解・支援を受けずに育ち、後悔とうらやましさを感じます。自分の気づきがあれば、またそのような障害があるという情報を幼児期に得ることができたら良かったのにと思います。

  私は小児科の健診でたくさんのお子さんをみてきましたがこの子は少し障害があるかも・・・と思ってもそこでは親にはっきり言わない。保健師さんに伝えてフォローしていくことにしていましたが実際の幼稚園、学校ではどんな風に生活し、どんな方が支援しているのかと常々疑問、不安に思っていました。このような会で話し合うことの意義、意見を交換しあうことの大切さ、何よりも発達障害の子をできるかぎり理解してあげる、支えてあげることの目標を明確にできてよいと思いました。小児科医はもっと深いところに目を向けて理解する姿勢が必要だと痛感しました

 

事例3「高機能広汎性発達障害をもつ小学校6年生の仲間関係と不安」

 

現在の小学校担任

普段の学級運営の中でできるだけC君の小さな変化も見落とさないように目をかけている。手をかけることは少ない。クラスにはいろいろな考え方があり、いろいろな人がいる。お互いに関わりの中で学び、学校は失敗してもいい場でもある。不安な時に絶対に孤立させてはいけない。初めは教師から、そして次第に子どものつながりを作っていく。子どもの中にいても安心感をもたせ、自発的な発言をしたり活動範囲を拡大していけるようにしたい。現在の課題は女子との関わり。相手を困らせている。女子に「僕、○○さんのこと嫌い」「僕、○○さんのこと好き」と下品なことばを大きな声で言う。(言わされる?)一人だけでいうのではなくクラスの多くの子と一緒に。トラブルになる。

 

ことばの教室担任 

ことばの教室では小集団活動の中でいろいろな活動や体験をつみながら、自分の考えや思いを自信を持って表現したりする場を設定している。また、その場にあった言動をとれるよう活動の中でタイムリーに支援するようにしている。C君の場合は何度も同じことを確認する行動はまだ多少なりとも続いているので、その時のこちらの対応も課題としては残っている。最近彼が自分に自信を持ってやっている時にはこの聞き返しがいつの間にか消えていることに気づいた。それからは、私は彼のこの聞き返しを無理に消そうとはしなくなった。聞き返しが無意識に減るような活動の場を増やすようにしている

 

 

元ことばの教室担任

お母さんからの情報、「Cは自信喪失しているみたい」、理由は同じことを何度も友だちに聞くから、「Cしつこい、なんか変」と言われているらしい。まわりの子どもたちも何かCが自分たちと違うと感じ始めたか?ことばの教室に通っているのはなぜ?ことばの教室ってどんなとこ?も含めて不思議感がでてきた?

お母さんとの作戦:

ビデオ作り(個別指導も兼ねてCが作る。)

@ ことばの教室、個別指導の様子をビデオ撮り。

A ビデオ編集

B Cが担任に編集ビデオを渡す。

C クラスでみてもらう。

D 子どもたちの反応をみる。

子どもたちからの感想をみると、反響は大きかった。自信を喪失していたCが元気になった。ただし子どもとの深い関わりの中での変化ではない。ことばの担当をしていて学校間の連携ができるはずなのに担任や学校長の考え方と合わないと苦労する場合もある

 

Cの保護者

 診断は絶対必要だ。親が障害を受け止められたのは、安心してさらけだせる場所やいっしょに悩んでくれる友だち、先生がいたから。保育所内で(障害児をもつ母親同士が情報を交換できるように)グループカウンセリング?もしていただいた

 学校ではCは自信がなく、自分に非があると思ってしまう。そのために大人だけには受けいられたいと、「よい子」を演じてしまう。(からかわれて嫌なことも我慢して最後までつき合う)Cの問題、偏りを話しながら、Cにあった指導を検討してもらえないか校長に相談したが、表面には見えてこないため、「お母さんの心配のしすぎ」に終わってしまった。その時は、友だちとの関わりで、こじれた場合であっても読み解きしてCに伝えられるまわりの先生、友だちが必要と思った。

6年生になり担任の先生はCにとって何を優先させるか、いろいろ工夫されている。こじれていた友だちとはクラスが離されたが、今も遊んだりしている。様子を見て先生が私に伝えてくれたり、先生が場面(相手の気持ち)を翻訳してCに伝えたり、隣のクラスの担任とも本当にこじれた関係は修復できているのか注意深く見てもらっている。

 小学校では、普通学級の担任の配慮を受け、また「ことば」のような個別の指導を受けることで大きく成長した。しかし、中学校では発達障害に関する知識もなく、小学校のような制度がなく、各学校内で対応していくのは困難だ。このような中で、いじめ、無気力、不登校という2次的な問題も起こりがちだ。

 

感想

  身近で具体的に感じられてよかったです。その反面、ギャップを感じたことは、やはり「学校のシステム」です。長崎の事件で校長・教頭が並んで記者会見をして「テストは450点以上で優れた生徒」と言うだけで終わったのが私は腹立たしく感じたのですが、どうやらそれが普通のようですね。保護者から見て有益な「引継」をしていただきたいです。事務的な仕事として処理しないでいただきたいです。よろしくお願いします。是非、ご検討ください。

  親が子どもに与えてやれないものは<仲間>ですが、トラブル・障害は親の手の届かないところでおきるという点で、頭をかかえてしまいました。今回の事例では、障害をもつ子同士の関わり、ことばの教室等の環境が整っているようですが、障害の発見が遅れたり、そのような施策の整っていない地域での子どもはどうすればよいのかと思いました。具体的なお子さんの事例はうちの子と似ており大変参考になりました。

  今はまだ年長で先生も理解して下さる中で、子どもは楽しく登園していますが、来年小学校入学を控え、対応にシステム化されたことも少なく、究極的には先生個人の裁量に頼るところが多いようで、不安がいっぱいです。今後さらに親から離れていき、友だちとの関係も複雑になっていくと思われますので、さらに不安が増していく感じです。

  保育所の時期は、どんな子がどんな風にしてみんなと一緒に過ごせるようになるか、という問題が大きいのですが、高学年になると、いろんな問題がおこってくる。その芽は小さい時期にあることもわかりました。幼児期には何が大切か、よく考えてみたいです。小さい時もっと友だちとトラブルが起きるようにしくんで、そこから人間関係を学べるようにすることが必要だと思いました。

  当事者に関わられた、また、関わっている複数の人たちの話が聞けたことは、理解を促進したと思う。クラスメートへの障害についての説明をいつ・どのようにするのかはとても重要で又難しい問題であると思う。是非、議論を深めて欲しい。

 

 

学習障害2事例の検討

学習障害の事例4からは、子どもの情報処理の偏りを考慮した適切な対応こそが不登園・不登校問題を解決すること、また子どもが独自の学習スタイルを見つけ出していく支援も欠かせないことが示された。事例5からは、読み障害をもつ子どもを支援するしくみが学校の中にほとんどなく、不登校でもしなければ「読みの学習」もできないという深刻な事態が存在することが示された。

 

事例4「不登園・不登校を乗り越えてきた学習障害の小学生の育ちをふり返る」 

 

幼稚園担任

 Dちゃんが教室に入らないこと、保育内容に関心を示さないことについて、『担任の能力不足ではないか?』と自問し悩み、焦る気持ちにもなった。何とか皆の輪の中へひきつけようと悩みながら毎日毎日、Dちゃんの後を追いかけていた。しかし、Dちゃんが園内のお気に入りの場所で穏やかな表情でくつろぐ姿を見て、ふと考えた。まず、「本人の安定した気持ちを大事にしたい」と。こちらの指示的な声を聞くだけで、過剰なほど拒否反応を示し、時には声を荒げて抵抗している姿をみていたので、一体何が大事なんだろう、と深呼吸して考えた時期があった。どうすることがベストなのか、わからなかった。とにかく「この子は一体どういう子なんだ?なにが好きなんだ?どんな反応をするんだ?どんな行動をとるんだ?」という自分自身への疑問を解決すべく毎日必死で追いかけて見つめていた気がする。結局、四ヶ月の園生活の間に、明らかな結論は見えてこないまま、別の幼稚園に転園となった。

 

1学年担任 

 入学前に「LD児だからよろしく頼む」との話を聞いていたが、LD児らしい様子は見られなかった。学力も良く、プリントなど説明をしなくても自分でさっさと済ませ、わからないときだけ尋ねていた。1学期は、Dさんに寄り添うように少し配慮をしたくらいで終えたように思う2学期、夏休み明けの初日か翌日に席替えを行った。それが土曜日だったと思うが、何事もなくいい顔で握手をしてさようならをした。その休み明けの月曜日だったと思うが、登校したくないとの理由で欠席だった。お母さんから、「席替えが嫌だ」といっていると伺ったが、いい顔でさようならをしたのにどうしてだろうと理解できなかった。それからお母さんが車で学校に連れてこられるが、車から降りようとせず嫌がる姿が見られた。

 校長、教頭と保護者とのやり取りの中で校長室登校をするようになる。 数日してから、教頭が時々教室に連れてきては、廊下から覗いたり、クラスの皆が「おはよう」と声かけをしたりした。そんな日がしばらく続き、Dさんの好きな図工や生活等、学習時間を増やしながら『今日は長休みまで』とか、『お昼まで』等と帰宅時間を約束し、教室にいる時間を長くしていった。3学期、不安を持って新学期を迎えたが、スムーズにスタートできた。しかし、掃除の時間、そうじロッカーの陰に隠れていたことがあり、自分の気持ちが処理できない時、その場から逃げることがわかった。その時は、原因はどこにあるのか話し合いを持ち、自分の気持ちが整理された時に納得して行動に移してくれることもわかった。その後からは、クラスの子どもたちも変わりなく接し、特別な配慮をすることもなく終えた。

 

小学校校長

国語の漢字ドリル・算数の計算ドリルをしている時や二人で話をしている時に感じたことは、知能はなかなか高く、作業も早いということ。難しいことを話すこともあり、難しいことばも知っている。二人で話し合って計画した勉強が終わった時点で、時間が余っているから追加の勉強を加えようとしてもなかなか受け入れようとしない時があった。無理強いはしなかった。これは、決めたことに集中していて、決めたこと・思ったことは必ず終えなければ気が済まないというきちんとしたところがあるのだと思う。しかし、ついでにという気持ちの余裕・はばに欠ける特徴があるのかもしれない。または、約束以外だという気持ちが働くのかもしれない。Dさん個人に対する対応については、一見わがままな様に見えてもそれがLD児の特徴のひとつと思えば、神経を尖らせることは無く、安心して見ていることができる。ただ、LD児について学んでいても、多くの子どもたちと一緒に行動する中で社会規範を学ぶのが学校であるから、この点で担任としては指導に難しさを感じるであろう。集団生活上で守らなければならないことについて、守らなかったDさん以外の児童には厳しく注意し、Dさんには厳しいことを言わないということは、LD児の特徴を説明しても、Dさん以外の子どもにとっても他の保護者にとっても合点しにくいものがあるかもしれない。

                            

4年生担任

不安な時、自信がない時、次の行動がわからない時に座席から立って、教師のところに質問・確認に来る。その場で答えるときもあるし、聞き逃したことについては、注意してから答えている。また、次の行動については後でみんなに話をするからと言って即答しないようにしている。まわりの友だちはその行動が許せず、「すわれ」など言っていたので、1学期に2、3回、2学期に1回、Dさんだけでなく他の児童のことを含めて友だちに対することばかけを考えさせる指導をした

自分の思いや考えを表現するときに話し出すまでに時間がかかったり、全体の方を見て話せなかったり、声が小さくて聞き取りにくかったりする。 話し出そうとしたら、時間がかかってもみんなに聞かせるようにした。最初のころは男子がとやかく言ったが、最近は聞き取りにくいことを指摘する子が減ってきた。教師に話しているときは、こんなことを言いたいのか確認して聞くようにした。

自分の思い・考えを教師が理解していない時、付け加えがあるときに座席から立って教師のところに話に来る。その時に話を聞いているが、その場合の話はDさんの思いを理解するのがむずかしいときもあり、Dさんにもなかなか納得できなくて、感情的になることもあった。

友だちの呼びかけに答えられるが、自分から友だちに話しかけることが苦手である。そういうときは、教師側から促すと近くには行くが、会話はしないことが多い。休み時間はどちらかというと一人で過ごす方がよいようである。

興奮状態になる。ドッジボールで当てた男子に対して攻撃しに行った。その子に対する攻撃はさせなかった。教師と2人で体育館の隅でいた。興奮状態がおさまるまで待ち、教室に戻る意思があるかどうかを確認した。Dさんだけでなく、他の女子も不満に思っていたことを話し合った。

表現するとき、むずかしいことばをつかい、イラストで表現するのを好む。発言の時にはDさんに説明させたり、教師が付け加えたりする。まとめを書いているときは良く見せに来るので、認めている。

疲れたと言って、ぐったりすることがある。集中できないときがある。見つけたときは必ず近づいて声をかけたり合図したりする。他の児童と同じように注意することもある。その後、教師のところに来て「少しぼうっとしちゃった」とか言いに来ることもある。

親から聞いた話は、子どもとの関わりについて役に立った。昨年度の担任にまず話を聞き、1学期が始まって間もなくのころ母親から聞いたことは役立った。事前に話を聞くことによって落ち着いて対応できた。興奮状態になってもあわてず対応できた。

 

金沢エルデの会(小集団)支援者  

エルデ小集団では、計画して実行することを活動の中心に据えている。昨年の夏、白峰村へ合宿に行った。Dさんは話し合いに参加しながらも行けなかった。合宿に行かなかったDさんのことも考え、秋に遠足に行った。今年は夏合宿の話し合いを年度当初から始めることができた。遠足で自分たちの立てた計画を実行してきた経験から、Dさんは合宿で自分のやりたいことができるのではと感じることができ、それが合宿に行きたい思いへとつながったと思われる。当初、珠洲市八ヶ崎の予定だったが宿が取れず、どうするか問うた時に、場所を変えようと提案したのはDさんだった。また、変更になった合宿の場である輪島市での宿探しでも、値段の高さからもう1度探し出そうと提案したところ、海沿いのペンションを探し出したのもDさんだった。Dさんが参加できる合宿にすることがスタッフとメンバーの共通認識になっていたこともあって、計画を立てることへ本人もやる気を持って取り組めたと思う

 

金沢エルデの会(塾)学生支援者

Dさんが喜んで取り組んだ活動の中に、クイズ作り(コインゲット:自分でお題を決めてヒントを5つ出し、互いに答え合う)があったが、他のメンバーが知らないと思われるようなお題を出し、ヒントが伝わらない場合でも満足している様子であった。サザエさんやぼのぼのなどの4コマ漫画の吹き出し入れも好んだ活動であり、自分で仕上げるだけでなく、他のメンバーの作品を読むことも好み、積極的に他のメンバーに話しかけた。「どうだった?どこがおもしろい?」と感想を聞くシーンも見られた。最近のDさんの興味の対象は、戦争に関することや昔の日本の様子のようである。塾ではそういう本を好んで読んでいる。防空壕や干し飯など昔の生活様式について話すことがある。

 

Dの保護者

 Dは歩き始めるとすぐ多動が目立ち、一日に何回も家から出て行ってしまい、それを追いかけるのと家事とで私はくたくたに疲れていた。ことばの遅れも、同居をしている夫の母に指摘されるまで気がつかなかった。というより、毎日この子を追いかけるのに必死で気がつく暇がなかったのだ。3歳児健診で、言語能力が1歳数ヶ月という診断と、保健師の方に呆れるように「お母さんよく気がつきませんでしたね」と言われ、何がなんだかわからない状態で、呆然とするばかりだった。上の二人が行っていた幼稚園に入園した。始めのころは園から出て行ってしまうので、門に南京錠をかけてもらった。夏休みの終わりになると「行かない」と暴れだし、無理に連れて行こうとすると尋常でない暴れ方をするので、家にいさせることにした。子ども相談センターで巡回の先生にお会いをして、「この子がこのようになったのは、私の躾が悪かったのでしょうか?」と聞くと、「躾でこんな子にはなりません」と言われた。私は自分の躾ではなかったことが嬉しくて、ありがたかった。

 年中になっても幼稚園にもなかなか行かないし、『この幼稚園ではDは苦しいだろうな』と思って転園の相談をした。私が楽になれるなら遠くても転園しようと決めた。年長のときに学齢期にはLDになるであろうという診断を受けた。入学にあたり、何とか娘の障害のことを説明できるようになりたいと思った。入学前に校長先生にお会いし、療育歴、LDという障害があること、コミュニケーションがへたくそなこと、不安感が強いこと、耳からの情報がうまく整理できないことなどを書いた紙を渡した。

 1年の担任の先生は熱心で、ベテランだった。通い始めて2ヶ月ほどたった日に「行かない」と泣いて訴えるので、どうしたのかと聞くと「給食のときにトマトを無理やりに食べさせられた」と言う。「苦手なことをしているときに、周りで励まされるとかえって負担になるので、そんなときは見て見ぬ振りをして欲しい」と話した。それがなかなかうまく伝わらず、先生には「Dの好きなようにさせて欲しい」とお願いしたように聞こえたようだ。1学期の終わりに通知表をもらいにいったとき、「わがままか障害かわからない、好き放題にやっている」とおっしゃられ『私の意図は何にも伝わっていなかったのだ』とうなだれる思いだった。夏休みが過ぎ、2学期の2日目のこと、帰るなり「もう学校に行かない」と暴れだした。担任の先生に幼稚園の園長先生に会いに行って欲しいとお願いしたら、行ってくださった。先生は熱心でDを助けたいという情熱があったのだと思う。親と先生が直接話しても本当にうまくいかないものだと実感した。Dの障害のことをよく理解をしている第三者に入っていただいたことで、わだかまりが消え、先生が障害を見落としていたとおっしゃったことで、私も安心できた。最初30分の校長室登校から始めまた。

 2年生は、先生との相性もよくあまり問題なく過ぎた先生は障害について特別な理解があったわけではなく、もともとおおらかな方で、時々のパニックにも放っておける人だった。3年生になると、「国語の時間は先生が何を言っているのかさっぱりわからん」と言うので、その通りに先生に伝えたら、先生は驚いて「ノートもちゃんと書いているし、テストの点もいいので気がつかなかった」とおっしゃった。4年生になるときのクラス編成で、Dに対していつも攻撃をしてくる子どもさんをはずしてもらうよう頼んだ。今のクラスで初めて友人もでき、昨日も初めて友だちと公園に遊びに行った。

 

金沢エルデの会アドバイザー

不登園で転園したK幼稚園には集団になじまず職員室で過ごす子はよくいて、その一人S君と園長との遊びに、「今度は私!」と、Dが参加してきた。それは見事にS君との遊びをアレンジし、S君も楽しんで受けいれた。こうしてS君はDの「ファン」になり、Dが誘えばクラスにもスムーズに入るようになり、同時にDがクラスで過ごす時間も増えていった。

2年生の時、母とDの会話をインリアル分析したことがある。話題は4コマ漫画『サザエさん』で、「なぜこの人は笑ったの?○○がイタズラしたから?△△が逃げたから?」というようにストーリー展開での「人と人の関係」に関する質問が多いことに気づいた。日常生活でDが「わかりたいのにわからない部分」なのだろう。『サザエさん』の漫画表現には、様々なマーク(「怒っている」マークや「走って逃げる」マークなど)が使われている。この人は怒っているのか考えているのか、困って笑っているのか楽しくて笑っているのか・・普段の生活では、Dには読みとりにくい部分を『サザエさん』はマークが表してくれる。また、現実の生活では時間は連続して流れるのを、4コマ、4場面に区切って見せてくれる。登場人物それぞれの行ための間にある関係も現実の生活で見ているより人間関係より理解しやすいだろう。どうも、漫画『サザエさん』をDは自分に必要な学習教材として無意識のうちに選んでいるように思われた。

Dは人間関係をうまくつくれない。幼稚園でも同じ年齢の友だちと関わるのは苦手で、自由遊びは自分より小さな子と遊んでいた。人間関係では“ことば”と“ことば以外の要素(表情・文脈・相手についての知識 等々)”を総合的に情報処理しないといけない。Dは「他の音が聞こえるとことばが聞き取れない」と本人が言うように、選択的にことばを聴き取ることが苦手である。表情を読みとることも、それらことば以外の要素を事柄の流れと結び合わせて考えることも苦手で、今何が起こっているのか、相手がどう思っているのかを的確につかめない。だから、読み取り不要の、ことばの応酬を笑うだけのやりとりを好むのだろう。

情報を関係においてとらえることが苦手なDは、四文字熟語のような難しいことばを知っているわりに、ことばの相互の関係が分からなくて「〜したら…してね」という程度の指示が理解できなかったりする。D自身、自分がちゃんとわかっていないという不安を幼稚園の頃からもっている。気の許せる大人には聞けるが友だちには聞けないのは幼稚園時と変わらないままだと学校の話を聞いて思った。Dはいつも不安で、物理的に気持ちの良いクッションやオンブのような触覚的な場所を求めるのもそのためかもしれない。「役割」もDの「居場所」である。ある時には、自分が名前を付けたモルモットが居場所になり、ある時には、他児の面倒を見るという役割が居場所であった。

 学習障害に因る不登園の経歴があることを親も幼稚園も申し送りしたにも関わらず、Dが不登校になった時、当然、親と先生の関係は修羅場となった。幼稚園がDの不登校に関わることになったのは、親と先生の衝突があまりにも激しかったからで、ケンカ状態の売りことばに買いことばの結果、私は学校の先生と直接話す機会をもつことになった。学校の担任と幼稚園が直接じっくりと話せる機会は滅多にない。先生が最初に言われたのは「あの子は本当に障害があるのですか?わがままではないのですか?」であった。先程の年中時のビデオからDの障害を見とれる人は多くないだろう。入学時には、より「適応的に」振る舞うようになっており、親や幼稚園から申し出があったとしても、学校の姿しか見ることのできない学校の先生には障害の認識が難しいのが現実である。

担任の先生と私で、幼稚園時のDの行動を参考に、Dが学習障害であることをふまえた学校復帰作戦を相談した。大事なことは「私はここでちゃんとお仕事をしている」と本人が思えること。保健室の先生のお手伝いや職員室で事務のプリントを折ってクラスごとに届けに行くような「役割」を作ってやることはできないか。学校で相談していただいた結果、校長室登校が提案され、Dもそれを受けいれた。これはDの学校復帰のステップとして有効であったが、それは1対1の関係が必要だとか、子どもが心を開ける優しい人が必要だとかということではない。

 暴れやパニックには周りはオタオタするが、本人としては少なくとも気持ちを表現できているわけで、表現できなかった時に、幼稚園や学校に行かなくなる。「明日はもう来ません」と言えた日は行く。笑顔で握手などして、先生が「明日もがんばろうね」、子どもが「はーい!」と、自分の気持ちではなく言ってしまったら、自分を表現する仕方は不登園不登校しかなくなる。先生は「すごくいい顔で帰ったのに…」と思うから子どもの思いを理解できない。学校生活あるいは自分が原因かもしれないとは思いもしない。

LDの子に限らず不登園不登校のポイントは “過剰適応”だと思う。「周りの人がこういうことを期待している」「今はこれができたほうがいい」というのを察して頑張ってしまう。教師や保育者には、自分が励ましてその子が頑張り、課題をクリアして、いっしょに頑張ったねと共感するのが好きな人が多い。それが子どもの“過剰適応”を引き起こす。子どもはかなり無理をしてやってしまい、そんな時は必ず揺り返しがくる。不登園不登校は揺り返しの一つだ。“過剰適応”に対する揺り返しが、LDの人は他の人に比べて大きいようで、頑張らせたつもりもないのに、どうして不登校!と周りはうろたえることになる。

テストができる=学力は大丈夫、と思われがちだが、テストで点数が取れれば子どもは学校が楽しいというのは誤解だ。Dはテストでは点数を取りながらも授業がわからないと悶えている。残酷なのは、Dが「わからないのはここ。ここがわかりたい」と示していることに対して支援がなされないことだ。子どもは、自分に必要な学びのために自分でいろいろと身の回りから教材をみつける。自分にわかりやすい『サザエさん』で、それでもわからないところはお母さんに聞いて、Dは苦手なことを理解したいと努力している。そこに応えるのが教育本来の仕事だろう。

 

感想 

  学校が第三者(専門家)にきちんとアドバイスを受けるということを、今よりもっとシステム化し、学校の常識(文化)になっていかなければ、と思います。そのような提言が必要だと思います。

  子どもは小さいときから表面的には違う問題に見える表し方をしているようでも、ずっと同じ特質をもって成長していること。それにずっと対してきた人たちの経験が次々と重ねて伝えられていくと、子どもも周りの関わる人も楽になること。そういうシステムが必要なことがわかりました。

  今までDちゃんのLD部分が理解できていなかったのですが、理論的な分析がもっときちんとなされれば、日常の教育や生活が本人や周囲にとって生きていきやすくなると感じました。そうすれば表現できなくなる苦しさ、不登校ということにはならなくてすむと思います。もっと子どものためにつながっていかなければいけないと感じました。

  学校側と親との関係が悪くなった時に、間に入ってくれる人が必要だと感じた。しかも間に入る人は専門的な知識がある方で子どもがどんな子か、個人のカルテのようなものがあって、それを見ればどんな子かだいたい分かるようなシステムがあると良いと思う。またそのカルテを学校と学校、学年担任と学年担任とのつなぎにも使えるシステムがあると、親がいちいち説明しなくても良いのではないかと思う。

事例5「読み障害を持つ“小エジソン”の育ちを支えたもの;幼児期から中学まで」

 

保護者

Eは3歳ぐらいまで、ほとんどことばがでなかったが、2歳児健診や、3歳児健診で異常は発見されなかった。幼稚園時代も、読み書きできないことを、園に訴え続けたが、「そんな子はたくさんいる。」「おとなしくて、やさしい子ですよ」いつもこのことばで片づけられていた。小学校1年生の時は親もまだLDという存在を知らなくて、黒板の字を写せなくて毎日、連絡帳を写すためにお残り状態。学校の無理解が原因プラス教師の資質にもよるのか?(親もしかたなく学校の対応に従う)。読み書きの遅い子どもも周りにいるために、目立つ存在ではないのかもしれない。2年生の時にLDと判明し学校に説明する。担任の配慮により、なんとか登校する。教科書やテストの問題を読んでもらって、答えは口答でする。3年生の時の不登校は担任の選定ミス。親が事前に配慮をお願いしたにもかかわらず、校内一評判の悪い先生にあたる。生徒側の依頼が全く届かなかった(教育プラザ富樫の機能の中枢部分になってもらいたい、親と学校側の架け橋)が、教頭の配慮により、教頭の仕事の手伝いをすることで、学校へ行くようになる。高学年は3年生の時の失敗があったので、学校側(校長、教頭)と直談判。その後は、種々のトラブルに見舞われながらも、卒業まで登校できる。学校側の配慮を得るには、親はかなりのパワーが必要となる。(教育プラザ富樫は完成した。今後はいかに機能させていくかが大きな課題)

しかし中学校のハードルの高さに直面する。担任が決まった入学式前日にも、校長と担任に必要な配慮の内容を再度説明する。感じたことは、LDに関する知識は小学校のはるか下、無知に近いという現状。(あまりにも無責任)現場に立っている教師の方々が、LD児のことを深く理解できるような場や機会を、どんどん増やしていくしかないのではなかろうか。専門家の話ではなく、私のような親の立場の人間が講師となって、勉強会をする。(困っている親の、生の声を聞かせる これが一番手っ取り早い)生の声を聞いた教師たちは、少なくともいままでの認識を変えてくれるはず。

 

金沢エルデの会(塾)学生支援者 

 E君はエルデの会の塾の教師役として、実験や工作のレクチャーを行う。自分がやりたい実験よりも子どもたちが喜びそうな実験を探す傾向がある。子ども一人一人の特徴をよく理解している。「この実験は面白そうやけどあの子たちにはちょっと難しいかもしれんね。」実験は自分の役割だという思いがあり、そこに存在意義を感じている。「実験がなくなったら僕の存在意義がなくなってしまう。」役割を持つことでエルデの会の中へ参加しやすい状況ができている。実験がある時とない時の塾への参加のしかたがだいぶ違う。塾での実験や、子どもに頼られているという思いから段々と自信をつけている様子。しかし学校に行っていないことに強く罪の意識を感じ普段はほとんど1日中家で過ごしている。これらのことから経験や人との関わりも少ないので少しでも外に出る機会を増やしいろいろな体験をしてほしいと考え自動車博物館や工業大学の見学などにとりくんだ。ただ、文字を読んだり書いたりすることに迫られると予想されるところには近寄らないし、そのために一歩も二歩も先の状況を常に予想しているのだろう。想像を超える緊張感を持って外出していることが伝わってくる。

 

幼稚園の保育日誌から

年少の1学期は教師から離れない姿が伺える。朝からずっと泣きっ放しで「おうちに帰れる?」と何回も聞いてくる。幼稚園へ来ると熱が上がる。「帰れるよ」というと熱がひく。2学期は行きつ戻りつといった状態。自分で好きな遊びを見つけ、遊ぶことができるようになった。幼稚園にも慣れ、「今日は幼稚園でお月見だんごを食べたって(おうちのひとに)言おう」と言っていた。どんな時も担任についてくる。3学期。「良かった探し」でちゃんとお友だちの良いところが言えた!Kとけんかして泣く。その後1コースのバスに二人で仲良く乗る。2月:登園せず。3月:昨日久しぶりに登園してきた。「何ごともうまくできなかったから嫌だった」と家族に報告。

年中では他の子との関わりが出てきた。Kくんと遊んでいて、よくけんかをするようだ。二人ともふざけてやっているうちに、本気になってくる。加減を考えて約束を守って遊ぶように声がけする。おもちゃを独り占めして使う。みんなに分けてあげることを約束する。しっかりお話を聞くように注意する。一つ一つ手を持って、一緒に文字を書いていく。

年長での様子からみると自分で考えてつくることは得意。みんなと一緒に何かをするのは苦手。人との関わりをもつのに時間がかかる。「ふざける」ことを注意されることが増えた。自己表現が少しずつできてきた。

 

小学校年生担任                    

生活面については大変几帳面。いつもきちんとした身だしなみで、きれい好き。文字言語(書くこと)時間はかかるが、一文字一文字しっかり丁寧に書いていた。漢字練習の際などは、形をとることが難しかったようである。しかし、諦めずに最後までやり遂げる。

@  テストの際などは、担任が問題文を読み、その答えを問う(文字言語→音声言語)

A  E君が答え、E君もしくは担任が書く(音声言語→文字言語)

という作業を繰り返した。@・Aの変換により、内容の理解はできていた。読み聞かせの中で、興味を示してくれたのがエリック・カールの絵本。授業が終わった後も、絵本を見に来ていた。(触ると楽しい絵本)。

 

小学校4,6年担任                       

他の子どもたちと特に違うと感じたのは「聞いて理解することはできるが、文章を読んで理解すること」「数の量感」「抽象的な思考」が特に弱いということ。そして、その点については、今日は少しわかっても、次の日になるとゼロに近い状態になるということ。昨日は少しわかったみたいだから、今日はその続き・・・と思って個別指導をすると、「あれ?昨日はわかっていたのに?」という状況だった。でも、耳から聞いて理解したことは、見事に頭の中に残っている。だから、理科、社会、算数でも形に関することなどのテストでは、文章さえ読み上げてあげて、回答方法を指示してあげれば、全部理解していることもしばしばだった。社会の資料から読み取ることでも、地図、グラフなどがあれば、その説明さえしてあげれば読み取ることができる。ただ、文章を読んで理解することができない。文字が理解できないことと、「何とかなるわ〜」と思えない性格が、Eちゃんの不安を倍増させていた。

読んでも意味はわからないとはいうものの、よく読みなれた(聞きなれた)話では、「どこら辺に書いてあった?」と聞くと、ほぼぴったりの場所を指差すことも多く、『何度も読めばわかるんじゃないかな?』と思っていた。テストなどの新しい文章を読み取るのは困難だが、何度も読めば理解できていると思っていた。(・・・・ここが私の認識不足だったのかもしれない。)それで、根本的にE君が読めるようになるための対応は何もできず、申し訳ない思いでいっぱいだ。

お父さんお母さんから聞いた話は、とても役に立った。しかし、なかなかその話とE君とがつながらず、後からなるほどと思うことが多かったように思う。最初話したからといってそれですべてがわかるということは難しいと思う。もしこれから受け持つことを考えると、実際にお子さんと接してはじめて実感できることもあるし、最初のうちは短いサイクルで話し合う時間をもったり、連絡帳等で連絡を密にした方がよいと思う。

学校の中にあって、軽度発達障害と言われる子どもたちを見ることの難しさ、また、学校内でのシステムを考えたとき、最大のネックになると思うのは、学習内容においては個別指導が必要だが、カリキュラムが決まっているため、軽度発達障害の子どもたちに合わせた学習をしていれば、他の子どもたちの学習に支障をきたすことになる。

  

中学校の担任

クラス発表の前日に、父が来校し、彼について説明を聞いた。その場では話の内容はわかったつもりでいたが、正直、LDとの関わりは初めてで、わかっていなかったようだ。とにかく「みんなとともに学校生活を送りたい」そのために、周囲に理解を求め、協力を得れば何とかなる。むしろ、彼を中心にクラスのまとまりができてくるのではとさえ思っていた。

 教室内では心配していたわりに、明日の予定は、終礼が終わって時間をかけて自力でノートに写し、特にSOSを出すこともなかった。各教科の教師は、彼だけを特別視せず「みんなと同じように」接するために配慮した。順に当てていくものは「みんなと同じように」と飛ばさずに当てるように心がけた。しゃべらず、何も積極的に取り組まず、じっと板書を書き写している5教科。他の生徒と同じようにスケッチブックに素描、ポスターカラーでの彩色を行う美術。歌を歌い、笛を演奏する音楽。どの教科においても健常児でもできない子はいるので、特別だという印象はなく、他の生徒と同じ感覚で見ていた。しかし、彼が学校ではあまり見せないが、非常に周囲の目を気にしていることを帰宅してからの連絡により知るのである。特別な配慮という点ではこんなことがあった。国語の先生の宿題が当てられた。「黒板に書くには大変時間がかかり、説明がみんなの前ではできない」という極度の不安により、欠席したいという連絡を母より受けた。私はあえてこの機会に少しでも自信がつけばと、頑張ることを要求した。発表の日、彼は登校した。彼の発表が成功しなければ、もう登校できないかもしれないと思い、同じ学校出身の生徒に「周囲に、彼に対して何かいうものがいたら助けて欲しい」と協力をしておいた。彼の助けもあったが、しっかりと発表した。家で黒板に書く練習と説明の練習を何度もしてきたことを母より知る。彼の努力はとてもすばらしいものがあった。これで少し自信がついたのではと勝手に喜んでした。しかし、後にこれは彼にとって自信ではなく単なる重荷だったようだと親のことばより感じた。

朝自習の時間、1枚の問題プリントを行う。一生懸命やる生徒、答えを写すだけの生徒といろいろいる。真面目な彼は、横を通ると考えているフリをする。とても愛しげに思えた。こんなふりまでしなければいけないのか。彼に苦痛を増やしているように思えた。一体この朝自習の20分間は彼にとってどんな意味があるだろうか。ただじっとイスに座って、理解のできない文字をノートに書き写すことは、意味のあることなのだろうか。「みんなとともに学校生活を送りたい」ことと「みんなと同じように」することはちがうことなのでは。文字を読めないとはどういうことかがようやくわかったのは、彼が不登校になってからだった。彼を理解できなかった。

 

 

感想

  LDの理解ということが基礎として打ち立てられないうちにシステムや指導方法論が先回りして、「不登校を出さないよう本人を励ます」「落ちこぼれを出さないよう補習をする」など、本人を圧迫するような結果にもなりかねません。

  教師に対して初任者研修くらいで、じっくり子どもと関わる、というチャンスをくぐってもらう必要があるのではないか。教師として「個人を見る」という特別の訓練が必要になってきていると思う。

  就学前の健診で「疑」だけでも見つけだし、親自身も一生懸命に関わってくれる幼児期から支援していけることを望みたい。健診内容に発達に関する内容を取り入れていって欲しい。就学後では学習に関して支援の必要な子がそれを受けられないまま、さらに中学に進んできても、手立てのしようがないのが現状です。それではあまりにも悲惨です。

  親の真剣な思いをズシリと受け止めた。私も教師として日々目の前のことを必死になってやっているが、それが空回りだったりすることが多々あると思う。空回りしないためにも、まず知り、行動をおこすことが大切だと思う。賢いがゆえに周りの反応が気になり傷つく・・・その子その子に出会い、その子その子に合った指導を手探りで見つけている今・・・もっとスムーズにできるためにも、教育センター富樫などを頼りにしたいと思う。

 

 

 

事例検討会の様子

 


V 子どもと保護者への支援の検討−金沢アスペの会、金沢エルデの会の活動から

 

金沢アスペの会学齢部小集団活動:子どもの個別支援報告(抜粋)

 金沢アスペの会は学齢部、中高生部、青年部の年齢グループ別に支援を進めている。ここでは10数名の子どもが参加している学齢部の定例活動を材料として、居場所確保と自己受容、社会的学習の機会づくりの意義を検討した。

 

中2男児:参加当初から、他児をその日の活動に誘い入れたり、やり方を教えたりしている。幼稚園児や低学年の子と遊んでやっている。男性スタッフに対しては、後輩が先輩に話すように堅苦しく話し、女性スタッフに対しては、ぶっきらぼうで、食べ物について忠告する女性スタッフに対し、「あんたもしつこい人だね」と一蹴したこともあった。スーパーに買出しに行ったときは、他児を引率しながら、品物を要領よく探し、礼儀正しく店員に質問することもできたが、自分の立つ位置が通行人の邪魔になっていることが理解できなかった。同行した支援者が、「他の人が迷惑しているから」と伝えると、「そうか。もし、相手がやくざだったら、無事では済まないな。気をつけなければ。」と、発想が飛躍してしまった。メンバーで年齢の近い男児たちと特に親しくなり、一緒に遊んでは、笑い転げている。特に、ある6年生の男児と気が合うようで、漫才のように掛け合いをしてふざけたり、内緒話をして楽しんだりしている。思春期ならではの難しさがあるのではないかと、特に初対面のスタッフは、気を使うこともあった。しかし、実際は、相手とそれほど複雑な心の駆け引きができるわけではなく、ごく単純な相手の意図すら理解していないことが多い。冷めたような言動も、大人に対する意図的挑戦的なポーズではなく、本人にしてみれば大真面目な反応のようである。

 外出の機会を設けることにより、状況が読めない場面が意外に多いことが明らかになってきた。通路の妨害をしない、他人の物を乱暴に扱わないなど、初歩的なことを、その時々の文脈の中で支援していかなくてはならない。

 

小6男児:体操、料理、創作など皆で行う活動は、それがやりがいのある内容と思えば参加するが、そうでなければ、ゲームを続けている。ひとたび創作に取り組むと、集中力は並大抵ではなく、でき上がった作品は独創的で、見事である。納得のいくプランしか受けいれないという姿勢は、何事にも徹底していて、話し合いのときも、他児やスタッフの意見が不合理と思えば、一言で単刀直入に批判し、「意味ない」と言って従おうとしない。昨年度は、年下のメンバーが自分の説明を理解できないでいると、腹を立てることもあったが、今年度に入り、幼い子にはそれなりの応対の仕方をして、相手の的外れな応答も、笑って受け流したり、辛抱強く繰り返し話したりする場面も見られるようになった。スタッフと買い物に行くとき、1万円札を持って来たことがあり、高額なので問いただしてみると、母親の財布から無断で抜いてきたとのことだった。しかし、「これは母親が自分のお年玉を勝手に預かったものを取り返しただけであり、自分は悪くない」と言い張って譲らなかった。活動の後、お母さんも交えて、再度この行為ついて話し合ったが、「親だって、勝手にお金を使っているのに、どうして子どもだけ、いちいち断りを入れて使わねばならないのか」と言い張り、親や支援者の思いが、なかなか本人には伝わらなかった。本人の論理で納得できない限り、相手の提案を受け入れないという徹底した姿勢は、話し合いに基づく自主活動だけをしている限りでは、大きな問題は起こらないが、社会の通念や大人からの指示にも従わなければならない学校や家庭の営みの中では、いろいろと支障が起こるであろう。しかし、他者と行き違い、衝突する経験ばかり多かった本児が、この会の中で、笑い合える友人を作り、他児にも次第に寛大になってきたことは、それ自体、意味のあることではないだろうか。この人間関係は、今後本児が他者の意見を受けいれる学習をする上で、なくてはならない土台ではないかと考えている。

 

小4女児:女の子同士仲のよい雰囲気の中で過ごすことが好き。会の活動では、年下の子に対していろいろと教えてあげたりするなど、面倒見のよいお姉さんとして振る舞おうとして頑張っていることが多い。「みんなで遊べる遊びをしたい」「○○ちゃんと■■をしたい」など、いつも誰かと関わりをもって過ごそうとするが、相手との気持ちのすれ違いも多く、うまくいかずに困惑していることがある。特に、“自由遊び”の時間は苦手なようで、「何をして遊べばいいかわからない」と涙をうかべて大人のところへ相談にくるなど不安が強い。クラブ活動など、ある程度その日のプログラムがはっきり決まっていると参加しやすい。いつも穏やかでトラブルを起こすことはほとんどない。時々、怒りを抑えられずに、大人に不満を言うことがあるが、他児の前では、激しい感情をあまりださないようにしているようだ。関わりの中でうまくいかないことや、社会的なルールなどに対する自分の考え方と、他者の考え方とのズレについてなど、様々な場面でよく混乱していることがある。誰かが言った冗談や嘘なども本気で受け取ってしまい、そのことばに傷ついたり、困惑したりしている。彼女なりに、活動を楽しめているときもあるのだろうが、よく対人関係などについて様々な不安や混乱を抱えており、ストレスも大きいように思う。自分一人ではうまく解決できないとき、彼女は大人に向かってSOSを出すことができる。そのときに、彼女の不安をやわらげ、自信をもって活動に参加できるように、大人がどのような支援をしていくのかが重要になるのだろう。しかし、このことは、大人だけでなく彼女自身の問題でもある。彼女が様々な対人関係などの経験を積み重ね、時には大人と相談しながら、いろいろな解決方法を知り、それらを使ってうまく対処していける場面が増えていけば、と考えている。

 

小1女児:彼女がアスペの会で一番楽しみにしていること。それは、自分の主張が通る相手と安心できる場所で「お姫様ワールド」に浸ることだろう。だから、彼女は来てから、@まず自分の相手になる大人を探す。A次に巧みに自分の世界へと誘い込む。B間に入ろうとするもの、現実の世界に引き戻そうとするものを拒絶する。Cしかし、帰る間際やどうしても避けられないときなどは気持ちを切り替えて、現実の世界に戻る。「お姫様ワールド」では彼女は気持ちよく自分を出しており、それを受け止めてもらっている。ただし彼女は大人とばかり関わるのかといえばそうでもなく、女の子たちと過ごすこともある。その時は「大人はあっち行って!」と言うこともあり、「お姫様ワールド」とはまた違った人間関係がある。彼女は大人には巧みな話術を用いるが、子ども同士だとそれが通じず(または用いることができず)、強烈にたしなめられる場面も見られる。支援者としては、自分をだせる、受け止めてもらえる「お姫様ワールド」を大切にしつつも、現実の中で他の子との交わりを生み出したいと考えている。なぜなら社会性(ここでは友だちと遊ぶことや自分の主張を上手く伝えること、羞恥心)を考えれば、一方的に彼女の言い分を聞くのではなく、こちらの言い分も相手に伝えるぶつかり合いも必要だと考えるからである。そのために、例えば「お姫様ワールド」を『○時から○時まで遊ぼうね』という条件を提案したり、初めに『今日の活動はみんなでやります』と伝えるなどしたりして、彼女の「お姫様ワールド」の意識をさぐったり、こちらの言い分をはっきりと伝えつつ折り合いをつけたりしたい。


金沢エルデの会の事例検討会(抜粋)

 金沢エルデの会の支援活動は小集団活動、学習塾、事例検討会の3つに分かれる。事例検討の進め方は、幼い頃からのエピソードを時系列的に眺める、「今」という時期にそれぞれの立場で事例児に関わる人達(事例児の親・エルデの会スタッフ・エルデの会の友だちの親・事例児の学校の先生等)がエピソードを持ち寄る、事例児の行動をビデオで細かく見る・・・等の方法で、その子の考え方、その子の方略を探っている。

 

小学5年男児

「なぜ自分の思いを学校で発言できないのか?」:

4年の2学期にノートに「友だちがいじわるをする。周りは何でも勝手に決める」と記入した。当時の担任:例えばクラスの係を決める時、本人が考えている間にクラスでどんどん決まってしまって残った係になるしかないことがある。そのような時に「周りが勝手に決める」と感じるのではないか。

現在の担任:授業では、自分なりの考えを求められる場合には発言しないが、漢字など自信のあるものについては発言する。自分なりの考えも、手を挙げては発言しはしないが、授業後に書くノートには書いている。資料〈学校のノート〉事実は多く書かれているが気持ちなどは、ほとんど書かれていない。読解の問題は、授業で学習した文章が材料の場合には正解している。しかし、そのテストで初めて見る文章について出題されると答えを書いていない。

エルデ塾支援者:プリントに答えを書いた後「あっとるか?」「あっとるか?」としつこく聞く。自分の好きなものを選んでいいよ、という場合でも「いいの選んだやろ?」ときく。

討議 ・答えは一つで、いろんな答えがあるということが受けいれられないのではないか?「何を言ってもいい」という場面でも、隠れた正解があると思っているのか?・正しい答えがあると思う場合しか考えないのではないか?

・「いろんな答えがある」という言い方では混乱する。これも正解、これも正解・・・という返し方をした方がいいのではないか。日常生活においても、人の気持ちや場を読みとろうと努力している。しかし、どこを見ればいいかのポイントがわからず、体験した「正解」をストックしておいて、その中から当てはまりそうな「答」を探すという方略なのではないか。

「怖いということについて」:

「図書室にアイスランドが出ている本がある。アイスランドは火山がたくさんあっていつ噴火するかわからないから怖い。だから学校に行きたくない」と言う。家庭の洗面所を一度も使ったことがない。「洗面所の穴が怖い」と言う。

エルデの会メンバーの母:

わが子が「僕は実は今でも階段が怖いんや」という話をした時、この子どもが急に真顔になって「僕も暗いところが怖い」と話していた。

討議 ・本当に怖いのだろうか。学校に行きたくない何か理由があるのだけれど、それを言語化できないので、怖いものを理由にしてしまっているということはないだろうか。苦手な説明をして質問されて・・・を無意識に避けるクセになっているのではないか。他の子に話を合わせて「怖い物」を探したのではないか。本当の自分の思いではなく、会話の流れでことばを発しているということはないか。二人とも特定の感覚に鋭敏さ(あるいは鈍さ)があって、他の人にはなんでもないものが特異に怖いのかもしれない。その怖さが特異であるゆえに、周りの人がその怖さをわからず、その結果、周りから安心につながる説明をもらえないままに来ていて、ことばで自分を納得させる方法を持っていないために、感覚的にひっかかった時にはコントロールがきかなくなって怖さでいっぱいになってしまうのではないか。

ビデオ “妹とシャボン玉で遊ぶ場面”

妹のシャボン玉の中に自分のシャボン玉を入れるというプランをもっているが、それを妹に説明しようとしていない。説明したいのだがうまくことばで説明できないから説明しようとしないのか。妹が嫌がっていて協力的でないことに気づかないのか。あるいは相手に拒否されるのがイヤだから自己防衛として流しているのか。何となくことばにして、相手が応じてくれたらラッキーという感じのコミュニケーション方略のように見える。普段も、相手の反応に確信がある時ははっきり言うが、確信がない時は、なんとなく言ってみるだけで終わっている。

学校では、授業時間は課題が明確で友だちも話を聞いてくれるが、休み時間は、それでは済まない。友だちの言ったことに「それいいな」と相槌を打ってついていくのが精一杯なのではないか。だから「授業は好きだけど、休み時間は嫌」なのだろう。予測しないことで相手が怒るというような経験を重ねてきた結果、失敗を恐れるようになってしまったのではないか。自分の思いつきには意味があると思える体験、自分のプランを提案してそれが実現される体験をさせたい。

 

 

金沢エルデの会 合宿を通しての子どもと大人の変容

 

<子ども個人にとっての意味>

H児の場合、合宿前には話し合いになると位置的にもメンバーと距離を置き、意見があってもボソッと独り言のようにつぶやくか近くのスタッフに言う程度で、話し合いへの参加は消極的であった。今回の合宿では、計画を立てる段階で、メンバーがH児の意見を予想し、その実現に向けて話し合いが進んでいったので、H児は自分の意見が聞き入れられ、実現する体験をした。昨年度の合宿に参加できなかったH児が今回は合宿に行けるようにと、他の子どもたちが自分たちの意見を調整する努力をした結果であるが、合宿後、H児は小集団活動の話し合いで、自分の意見を聞いてもらおうと自分からみんなに話しかけたり、意見を求めて働きかけるようになった。K児の場合、メンバーの最年長者であるが、他の子どもが出す意見すべてに対して認めるような受け答えをし、意見をまとめたり話し合いを進めることはなかった。ところが合宿の話し合いでは計画の最終的な決定を求められたり、合宿中の活動でも判断を求められる場面がいくつもあって、K児は自分の発言で他の子どもが行動したり活動が動いたりする経験をした。合宿後は話し合いでリーダーシップを取るようになった。

 

<子ども集団にとっての意味>

これまでも話し合いは活動として度々設定してきたが、誰かの意見のみで進んでいくことや、一人の意見で企画が決定してしまうことが少なくなかった。今回の合宿の話し合いは、計画においても合宿当日においても、宿泊場所や現地での活動内容など決めるべき事項の多くが、メンバー一人一人にとってこだわりとも言えるような、個人の嗜好のはっきりしたことがらであり、イメージの鮮明な具体的なことがらであったため、どの子も意見表明することができ、話し合いが成立しやすかった。そのため、全員に話し合いに参加する意欲があり、「みんなで合宿に行く」という共有意識が持てた。合宿後は、話し合いでは「みんなで話し合いをする」雰囲気が定着し、他のメンバーの性格や好みを意識しながら話し合う姿がよく見られるようになった。宿泊施設や交通手段についての情報収集や宿泊の手配など、準備はメンバー全員で役割分担した。それぞれの得意なことやできそうなこと、あるいは興味をもっている領域について仕事を分担したことで、メンバーそれぞれが、エルデ集団の中での自分の居場所と自分の力を感じたようであった。同時に、「誰々はこれが得意」といった他のメンバーへの認識と相互理解が深まり、その後の活動でも、それぞれが役割を受け持とうとしたり、この仕事は誰がやったらいいか提案したりするようになった。

 

<支援者にとっての意味>

宿泊によって、食事・入浴・洗面等生活面で、短時間の活動では見られない個人の姿を知ることができた。入浴の際使った石鹸が片づけられないなど社会的生活スキルの問題、宿の人に料理の評価を直裁に言う、朝市でお店の人の声かけに応え方がわからないなど社会的コミュニケーションの未熟さ、「お得」ということばに惑わされて持ち金全額を使うなど不利益を受けやすい危険性などである。今後の活動に問題点を整理した学習状況を用意する必要があるだろう。自分はどうしたいのかを子どもが明確にできるための援助や、うまくいかなかった時に対処法を考えられるようになる援助も考えていかなければならない。合宿では時間的な余裕があるので、うまくいくように介入することを抑えて、子どもが行動し終わるまでを見ることができた。例えば、I児は、目に入ったものに注意がいき、それまでのことを忘れてしまう傾向があるため、事前に予防的な介入をすることが多かったのだが、合宿では行動の経過を結果までゆっくりと観察することができた。メンバー一人一人の学習プログラムを考えるための有効なヒントを得ることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


事例検討会の様子


おわりに

 

 本委託研究事業は3つの「力」によって企画され、実行され、ようやく完遂にいたったものである。1つは、何よりもまず軽度発達障害をもつ子どもたちの保護者の皆さんのパワーである。フォーラムならびに事例検討会の企画・案内・会場設営・記録の整理など、ありとあらゆる労苦をいとわず尽くされたことにまず謝意を表したい。2つには、子どもたちを担任された先生方や相談・療育などにかかわられた方々の、軽度発達障害問題にとりくもうとする誠意と意欲である。金沢アスペの会、金沢エルデの会の支援者の皆さんの貢献も特筆しなければならない。金沢市社会福祉協議会保育部会および石川県私立幼稚園協会の先生方にはフォーラム・事例検討のご案内に便宜を図っていただいた。3つめに、金沢市子ども福祉課ならびに金沢市教育プラザ富樫関係者の、行政に携わる立場での課題意識をあげなければならない。本事業実施の裁定を下された金沢市長の先見性に負うものと考える。

 

 本ダイジェスト版と報告書本編のいずれも、軽度発達障害を持つ子どもやその友人の保護者、担任された保育者や教師、相談を担当した各分野の専門家など、多数の方々が作成くださったリポートや発言くださった内容に基づいている。本来ならばそれぞれのお名前を記すべきところであるが、講師名など必要な場合を除いて、子どもや関係者のプライバシーを保つために原則として氏名を掲載しなかった。貴重なリポート・ご発言の記録をこのような形にまとめ、広く金沢市ならびに金沢市民にお知らせすることで報いたいと考える。なお、金沢アスペの会の柿澤寿代氏、金沢エルデの会の山口智世氏、木の花幼稚園園長の大井佳子氏には、ご多忙な中で相当量の記録の整理、原稿執筆と編集をお願いした。最終段階で短時日のうちに、A4版数百枚に及ぶリポートや記録を、報告書本編140頁、ダイジェスト版40頁にまで切り縮めるという荒療治を余儀なくされたため、それらについては大幅に記述を削除・修正させていただいた。間違ったまとめや紹介がないことを祈るばかりである。本編・本ダイジェストともに文責は大井 学である。万が一不適切な記載があるとすればその責任であり、あらかじめお詫びしたい。

 

 なお、本委託研究事業は、平成15年度金沢大学地域貢献事業「教育と医学の連携による子育て支援」とのジョイントで実施した。広報などにかかわる金沢大学地域貢献室の関係者のご支援に謝意を表する。

 

平成1615

金沢大学教育学部教授 大井 学